作者の祖父敬亭は時代遅れの生活力を欠いた漢学者だった。 そして作者の父になる敬亭の子菰川は苦学して京都大学を出た。 菰川は、明治末年の東京で「二六新報」の論説記者をし、大正のはじめ、妻マサヨとのあいだに作者をもうけるが、作者が生まれて3ヶ月で急死した。 生母が再婚して家を去り祖母も亡くし、祖父に連れられ放浪していた。祖父「敬亭」は生活能力のない変わりもので、収入もなく、知人に無心して放浪して回る日々。それに手を引かれついていく作者なのだが、この敬亭は金銭の勘定も出来ないので、年齢一桁の作者がカネを管理している始末だった。 その祖父も放浪の中で亡くし、親戚に預けられて 無事成人した。 やがて祖父の残した膨大な資料を手にして祖父と夭逝した父の足跡を追うのがこの物語だ。
そして敬亭の著書に「虹滅」という造語が現れることに気がつく。辞書には載っていない、「虹滅」という造語は若くして死んだ息子、「菰川」のことを「俄に虹滅し去る」と表現したのだ。 虹のようにあっというまに滅びたということだ。・・・なんと、切ない言葉だろうか。
この ”虹滅”という二字は、祖父から父へ、父から作者へと移植された皮膚そのものだと、 巻末エッセイで司馬遼太郎は書いている。
祖父敬亭の日記から
祖母も亡くして放浪中に、祖父はある知人の家を訪ねたとき、幼い作者を門外に残したのだが、その時に敬亭は一人むしずしと玉子むし(茶碗むし?)を馳走になる。 それを申し訳なく思ったのか、翌日、祖父は飯屋で孫である作者に、大金50銭を払ってむしずしと玉子むしを食べさせ、自分は安いものを食べる。
このくだりを読んだ作者は祖父の思いに号泣しそうになる、という。
わずかな記憶に残る祖父への思いと、人間のするちょっとしたことがとても愛しいと思うのだ。
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