| 2011年08月02日(火) |
軍艦島 韓 水山 (ハン スサン) |
長崎の端島というところに海底炭鉱があって そこに戦前 徴用工として連れてこられた朝鮮の人々の物語だった。 戦前の日本は朝鮮の人たちに随分過酷な労働を強いてきた。 この物語も正にそうで 過酷な労働にガマンできなくなって死ぬ覚悟で脱出するも逃げ出した長崎で原爆の被害にあうというものだった。
『軍艦島』━その外観が軍艦に酷似していることからそう呼ばれるようになった。 長崎県の西南端の海上に浮かぶ端島の俗称。 海上に浮かぶコンクリートの不沈艦は、かつて日本の発展を根底から支えた黒ダイヤの島だった。 明治から閉鉱になる昭和49年まで多くのの鉱夫が働いていたが、特にあの大戦で日本の労働者が戦地に赴いたため、鉱山や土木工事の現場では深刻な労働者不足が続いていた。 これを解消するため国が率先して朝鮮人労務者を募集し、送り出しておきながら、表向きはあくまで企業に雇用される形が取られた。だがすべて厳格な国の統制化にあった。アジア侵略戦争を遂行するための国策の一つだった。
原爆に遭った朝鮮人、彼らは母国語で泣き、母国語で呻いた。「アイゴー、アイゴー」と痛がり、「オモニ、オモニ」と母を呼びながら死んでいった。どんな圧制も苦しみも桎梏の歳月もこの母国語は奪い去ることはできなかった。そして救護隊の日本人は「アイゴー、オモニ」と泣き叫ぶ朝鮮人は決して病院に運ばなかった。朝鮮語を話す者には水も食料も与えなかった。彼らは防空壕でさえ追い出された。 このようにして遺棄された朝鮮人は街で、崩壊した建物の瓦礫の下や軒下、橋の下や川辺で死んでいった。 日本人の差別と蔑視のなかで。最期まで取り残された死体も朝鮮人だった。一見、日本人と見まごうが、千切れた服から朝鮮服だとわかったり、アイゴー、オモニという呻き声を聞いたりして救護隊は区別していた。
たくさんの朝鮮人の登場人物がいるけれど主な人物を忘れないために。。。
李 明国(イミョングク) 尹 知相 (ユンチサン) と ひたすら夫の帰りを待つ妻の 崔 書蛍(チェソヒョン) 崔 又碩(チェウソク) と 朝鮮人娼婦の 錦禾 (クムファ)
読後は余りの悲惨なことにかなり動揺しているが、 物語の中で 軍艦島から脱出した 尹 知相 (ユンチサン)を助けた江上夫妻や娘の中田夫婦や拷問を受ける錦禾 (クムファ)に好意的だった島の日本人監督官鈴木のいたことに僅かだけれど救われる想いでいる。
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