| 2012年02月02日(木) |
お家さん 玉岡 かおる |
『お家はん』 ではなくて 『お家さん』である。
お家さんとは 大阪商人の家に根づいた呼び名のことだ。 間口の小さい店や新興の商売人など、小商いの女房ふぜいに用いることはできないが、土台も来歴も世間にそれと認められ、働く者たちのよりどころたる「家」を構えて、どこに逃げ隠れもできない商家の女主人にのみ許される呼び名である。
妻でない、奥さんでない、といって、もちろん店員たちの将ではない。「家」。彼らが依るべき場所そのものであり、またそのため彼らが守るべきもの。具体的には動かず働かず、ただ軒の庇を彼らのために広げてその容量の深さ大きさを用意してやる存在だ。
店という巨船に担ぎ上げられ、皆が押して引いて進み行くまま来ただけだった。なのにその航路は、一介の女がたどりつけるはずもないはるかな雲の上まで来てしまった。 ・・・だが、戦後不況という時代の潮に揺さぶられ、なお関東大震災がもたらした未曾有の衝撃が、まぼろしの鈴木商店と言われたその船体を歴史のはざまへと沈めていった。
思えば、人性は、時間という狂言回しによって、あまりにも巧妙に流れ行く物語だ。出遭って、届かず、別れて、またふいにめぐりあう。そんなことの繰り返し。そのたび、心の熱をやみくもに放出したり落ち込んで冷え切ったり、そうやって時を重ねていく。
以前 『天涯の船』と言う物語を読んでいて、その作者が書いた物語だということで大いに期待して読み出したが、やはり私の期待を裏切らなかった。
ただ、今のこの不況の時代にあってお家さんのような、そして金子直吉のような真の商売人がいないものかなぁ・・・とつくづく感じたことだ。
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