| 2012年02月28日(火) |
命もいらず名もいらず 山本 兼一 |
上巻 幕末篇 下巻 明治篇
山岡鉄舟という人物のことは名前しか知らなかった。 大政奉還の折、江戸城無血開城は勝海舟と西郷隆盛の手柄のようになっているが、それに先駆けて徳川慶喜恭順の意を伝えるため単身 駿河の征討大総督府参謀西郷に会いに行っていたのだ。 正に命もいらず、それにつきる。 そして 明治政府では、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任した。 明治天皇の師という表現をする人もいる。
剣・禅・書の達人としても知られていて、上巻では剣が、下巻では禅が問答のように登場した。 書も得意で、頼まれればいくらでも揮毫したようで、一説には100万枚もの書を書いたそうだ。 落款を押す弟子がいたのだが間に合わないくらい書くのが早かったとある。
今も多くの書が残っているそうだから、これは名もいらずとはいかなかったようだ。
そして臨終がすごい。 長年の大酒がたたって 死因は胃がんのようだが、風呂に入って身を清め死装束を纏い、皇城に向かって結跏趺坐して入滅した。 何ともすごいとしか言いようのない、日本の侍の死であった。
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