読書記録

2012年08月17日(金) 李 方子     一韓国人として悔いなく   小田部雄次



 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補のひとりとして名前が取り沙汰されていた梨本宮守正の長女、方子(まさこ)は学習院女子中等科在学中に李王家最期の皇太子(世子)である李垠と婚約した。だがその事実も、避暑のため梨本宮家大磯別邸に滞在していた1916年(大正5年)8月3日の早朝、手元にあった新聞を何気なく開いて知り、大変ショックを受けた。二人の結婚は、日韓併合後のいわゆる「内鮮一体」を目的とする政略結婚であり、山縣有朋による策略説もあるといわれている。

李垠の父である高宗の逝去などで遅れていた結婚だが、時代を表すように長男の晋の夭逝があったりと波乱万丈だった。
そして日本の敗戦により王族身分を失い、戦後は福祉事業に身を捧げた。

方子も時代に翻弄された人生だったけれど、李垠も11歳のとき伊藤博文に日本に連れてこられて、朝鮮王朝の皇太子でありながら日本の一皇族の扱いをされた。
幸いに死は韓国で迎えられたけれど、人生の大半を日本で過して望郷の念いかばかりだったろうと思う。

 韓ドラが好きで 少し前に『明成皇后』という、李垠の父親である高宗の正室の物語を見た。
日本人暴徒に斬殺された明成皇后を嘆き悲しむ高宗が、そんな寂しさを紛らすように手をつけた尚宮が李垠の母親だった。
李垠が生まれて韓国が日本に併合されていく頃でその物語は終わっていたけれど、今回この本を読んだことでまた日本と韓国とのなかなかに深い関係を思ったことだ。










 < 過去  INDEX  未来 >


fuu [MAIL]