江南原の高田村は眼前に水量豊かな筑後川が流れていながら地形上、その恵みの水を得ることのできない水涸れ村だった。 ゆえに打桶といって人力で水を汲み出して細々と田畑を潤していた。 主人公の元助は右足が悪い状態でも先輩の伊八とともに雨の日以外は一日の休みもなく打桶に精出ししていた。 もうひとりの主人公である高田村の庄屋山下助左衛門は,そんな村の状況を見て他の同じような水涸れ村の4つの村の庄屋とともに水を引くための堰を築く大工事を藩に願い出る。
上巻は元助の打桶や村の様子、そして助左衛門らが藩に大工事を願い出て許しをもらうまでが書かれている。 下巻はいろんな困難を乗り越えて無事、工事が完成するまでが描かれている。
これは作者の故郷に伝わる実話をもとに書かれているそうでなかなかに読みごたえのある素晴らしい物語だった。
この江南原にある村々は、北は筑後次郎という大河、南には巨瀬川がありながら、いつも日照りに泣いとる田畑をこんままにしとくとですか。田と畑が泣いとるちいうことは、百姓が泣いとることです。ここの土地に生まれた 百姓は、何代も前から、泣きながら田畑に出とるとです。そしてこんままなら、あと何代か何十代かあとまで、百勝は泣き続けにゃならんとです。
伊八の胸の中に残ったのは、これが百姓にとっての天下分け目の合戦、関ヶ原の合戦だという喩えだった。 敵は筑後川。敗ければ、筑後川は江南原の村々を見捨てる。勝てば、筑後川はこの先末永く、江南原に水を送り続ける。
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