| 2013年01月08日(火) |
烈しい生と美しい死を 瀬戸内 寂聴く |
私が目にしにくい「東京新聞」「西日本新聞」そして「徳島新聞」に「この道」として連載されていたものをまとめたもの。
2011年は日本で初めて、女性が作った女性のための雑誌「青鞜」が創刊されて100年という節目の年だそうだ。 明治維新という大革命のあとも、日本の女性の地位は、旧来通り男に従屈して、良妻賢母を理想とする忍従の立場を変えることはできなかった。 そんな時代に生まれた「青鞜」は、女の時代の黎明をもたらすかのような強い原動力となった。
平塚らいてうが 「青鞜」の生みの親なら、「青鞜」の死に水を取ったのが伊藤野枝であるという著者の想いから書き出されたもの。 「青鞜」が誕生した1910年は幸徳秋水初め12名の処刑が行われた年でもあり、今ではほとんどこういう事実を無視したかのように忘れられていることの現実も著者には消すことのできない日本人の思想なのだ。
今では少子高齢化が進んで ひとりの女性が生涯に産む子供の数も減る一方だが、与謝野晶子も伊藤野枝も子沢山だ。 世の中が便利になった現代のほうが生きていくのに弱くなっているのだろうか、そんなことも私は強く感じた。
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