2025年08月05日(火) |
護持院隆光 / 飯田 全紀 |
なぜ生類憐れみの令が生まれたのか? どのような切ない思い、願いが込められているのか。 現在のわれわれに繋がるものがあるのかないのか。 蹴鞠を好んだ護持院隆光の正体、事実とは・・・。
大和で生まれ大和に死す。徳川五代将軍綱吉に取り入ったと悪名高い。映画、テレビ、小説などで常に敵役を割り振られている。史実は将軍家、幕閣のみならず、豊山長谷寺、東大寺大仏殿、女人高野室生寺、唐招提寺、法隆寺、成田不動など多くの寺社仏閣、宗派に関わった。結果として世界遺産を残すお手伝いをしたともいえる。
作中には歴史として避けることのできない多くの人物、寺社が登場する。現代からは考えられないさまざまな史実があった。創作を加えた人物設定、時代考証などでご批判はあろうかと思う。作者としては、時代の波に翻弄されながらも己を信じて懸命に生きる人々の心を大切にした。 隆光は生類憐れみの令に関わらなかったというのが近年の学説である。その前提で書き進めていたが、(もしかして)書き直した。 時を超えて投げかける隆光の思想、信念、熱き思いは私たち現代人がしかと受け止めてやる必要があるような気がする。自然破壊が進み、争いの絶えない今の世こそ、共存を大義とする「生類憐れみの令」が不可欠である、と言えば大仰すぎるのだろうか・・・・・。
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