なか杉こうの日記
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2005年08月27日(土) |
人を切る・英語の達人(?)・くだくだ考える |
むかし私が初めて会社勤めをした頃、先輩の女性が新しいイヤリングをしてきた。得意になって同輩の女性に話している。「いいわね、それ」と相手は言っている。私もおずおずと「いいですね」と言った。わたしはたぶんイヤリングなんて関心もなかったのだが、本人がいいと思っているのだし、高価なものらしかったからそう言ったのかもしれない。よく覚えていないが。
そしたら、しばらくしてその女性はイヤリングをはずして「あげるわ、これ」とわたしによこした。「いいです、いいです」と言ったのに無理やりくれてよこした。つっかえすこともできずにそのまま礼を言ってもらって引き取らざるを得なかった・・・。どうみてもわたしには似合わない、棒のような青い玉のついたイヤリング。
こんなことがよくある。 あたしが「いい」というと、相手が不快に思うこと。
先日も、部下の女性が髪をカットしてきて、わたしはエレベーターの中で「いいよー、それ」とつくづく眺めながら、本心から言った。言ったあとでまずったと思った。きっと彼女は不快に思っただろう・・・。
次の日は休日だったが、月曜出てきた彼女はヘアスタイルを変えてきた。しらんかおでしゃあしゃあといる。「またか」と思った。
わたしがほめると汚いものでもついたような気がするのだろうか、とよく思う。それともあまりに相手に近づきすぎたような気がして相手は不快に思うのだろうか、よくわからない。
女性は細かなことで、相手を「切る」。数年前の女性の部下のはなし。彼女はいつもお茶碗を洗ってくれるのだが、ときおりわたしは自分の茶碗にほんの少し、口紅のあとがついてしまうのが気になってはいた。あるとき、彼女がメークはしているのに、口紅だけしてこない日があった。気味悪いことこのうえない。病気の人のようにも思えた。そのときも、わたしは口紅の少しついた茶碗を洗わねばならぬことに対する、彼女のあてつけだと思ったのである。
女性に、いつも何度も「切られる」思いがする。刃の細い包丁ですらりと女性は人を切る。それはほんの一瞬のあいだで目立たないくらいだ。
わたしは無骨でこのように人を切ることができない。しかし、切ってはみたいといつも思っている・・・。
相変わらず昔から人との距離が取れずにいます。
* * *
いま、宮本常一の本を読んでいる。一週間に一冊は何か本を読むようにしたいなと思っているが、電車に乗れば眠くなるし、ビジネス英語のテープも聞かなくてはならないし、その二本立てをこなすのがようよう。 できれば洋書も読んでいきたいとおもうがとてもそちらのほうまで手が回らない。 あと、英文をなんとか正確に書きたいと思って通信教育を始めることにした。自分で言うのもなんであるが、職務上の英語のレターを書くのに困ることはない。しかし普通の仕事の専門分野の英文を作ろうとすると、いつも前置詞や冠詞を適当にしている。 今の仕事は監督職(いちおう)なので、また部下が英語以外は全くできないしやろうともしないぼんくら(悪いけど)なので自分が部下でもできる仕事をやるはめになっている。悔しくてしょうがない。 これじゃあ、あたし、通訳職で今の職場にいるのに、力が落ちるばかりだと思い、奮起してやることにした。 ちきしょー、人になんか負けるものか、という負けず嫌いの気持ちだけは誰よりも強い割には、やるかというと、のらりくらりなのである。 しかし日常にはやることが山積していて、親の介護に家のもろもろのこともあるし。しかし、負けるものか! 英文の翻訳なら達人になってみせる。というのがあるんです。ははは・・・。
* * *
あたしはときどき あたしを非常に憎く思う人がいたらどんなだろうと 余計な想像をすることがある もし嫉妬の念ひじょうに強く このやろう、こいつ、と憎しみの目を持って 眺められていたら・・・ しかしわたしはおそらくこんなことはないだろう わたしには憎む種がないらしいのである それでいて気味が悪いから 人にうっくつさせるのである と、ここまでかいて うんざりしたので、やめる。 あたしはときどき じぶんと同じように 人を非難する気持ちが 他人にあるのを 自分は信じていない気がする 人はこんなには思うことはないだろう、と。 しかし 人はわたしほど 自らの気持ちを消したり 押さえつけることはないらしい すること やりたいことも 宇宙の果てまで跳んでいる ここに書くのも 恥ずかしいことすら 他人は楽に考える、らしい こう、ぐたぐた考えている これは、おそらく心理学の分野なのだと思う
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