なか杉こうの日記
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2005年11月03日(木) 立ちすくむ。

ほんとにヒトがヒトでなく、することがゲームのようになっているので気味が悪い。最近の多々の事件である・・・。

過去に幾多となくあった事件や映画での残虐な事件とは異なる、なんというのかヒトが加害者がロボットのようになっている。自らがどうなるかもあまり意識できていない。

昨年だったか、小学六年の女の子が仲のいい友だちにネットでなにか仲たがいして、音楽室で後ろからナイフで殺害した事件。消防の女性隊員がフリン相手の男性をネットで殺害を依頼し、しかもその後代金を支払ったのに実行しない、と警察に訴えた事件。そして昨日だったか、母親を毒殺しようとした化学知識のある女子高校生。

使うのは、インターネット、化学・・・となにか「無機質」なものがからんでいる。オウムもそうだった。無機質なものを信仰し、それにニンゲン的なものを無理に与えようとする。

人の抱く憎しみとか残虐性とか嫉妬とか落胆とか、そんなものはわたしはある程度は理解できるような気がする。そしてそれが理解できる自分を恐ろしいと思う。人が恐ろしいのではなくて自分が恐ろしい、だから一歩手前のところで踏みとどまっている・・・というところもある。

しかしながら、ここ十年ぐらいの、こういった「無機質」な事件は、わたしは自分の中にいくら捜そうとしても捜せないのだ。だから、気味が悪い。カオナシの恐怖である。こうした無機質の感覚は、生まれ育った中で次第にできていくものなのかもしれない。

ヒトが、「愛情」のない、つまり他の人とくっついたり離れたり、好きになったり悔しがったりのきわめて人間的な関係が、希薄だった環境に置かれると、こんなふうになるのかもしれない・・・と思ったりもする。人間というのはこれほどまでに可塑性を持ったものなのか、とも思う。つまりロボットにもなれるのだ。

自分のブログに名前のない、気味の悪い書き込みやトラックバックをされるときとこの感覚は似ている。心理学はこの最近の事件の人間の心理をどう扱うのだろうか。もし、自分の前にそのような人間が現れた場合、自分はその心理を理解できるだろうか。理解できないものをも、受け止められるだろうか。ただ、恐ろしい、と立ちすくんでいるしかないのだろうか。


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