なか杉こうの日記
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2005年12月03日(土) |
Harry Potter |
さきほどテレビでハリーポッターの映画を見た。後半三分の一ぐらいかな。デジタルだから空を飛ぶのでも変身でも腕がくにゃりと曲がるのでもなんでもできるというのはたいしたものだ。
いまどきこんなことを言うのは時代遅れだが、わたしがHarry Potterの第一冊目を読もうとしたのはおととしぐらいの事である。日本語を読むのがシャクだったから英語のペーパーバックを買った。
単語は独特の難しい単語が出てくるが、ともかく面白い。列車のホームにふつうはないホームからホグウィッツ行きの列車が出るところとか。だんだん読んでいくうちに、これはよくある、イギリスとかアメリカのキリスト教を主体とした小説とは違うぞ、という感じがした。わたしは英米文学などほとんど読んでないから違うかもしれない。ただあちらの文学はどうしても神と人間とか、善と悪との戦いとか、そんなテーマが感じられるものが多いと思う。
ところがこのハリー・ポッターに渦巻くのは、神もない、悪魔もない、いや、それ以前の根源のどろどろとした原初的な人間の怨念みたいな、無意識の世界みたいなそんなところを著者がすごく好んでいて、好きで好きでしょうがなくて書いているような感じがした。
だから、おそろしい。ただ本で読むと想像力を働かせることができる。どんな恐ろしいものでも神話の世界に昇華される。
映画で見る世界は自分が本を読んだときに想像した世界と同じようなものである。しかし、映画の映像はつまらない・・・。ただちゃちな残酷な場面が次々に出てきて、スリルはあるが、それだけ。コンピューターゲームである。こんなものを見ていたら子どもは想像力を失うのではないかな、と思った。
描き方にあるのかもしれない。なんか奥深さが足りないのである。それと、いかにもぼんくらっぽい、ハリー・ポッターという名前が、カタカナで書かれるとえらい魔法使いにも見えるのはわたしだけだろうか。
Harry Potterというのは、英語ではほんとに冴えない、ぱっとしない名前ではなかろうか。Harryなんて子どもは掃いて捨てるほどいるし、ポッターなんてなんとぽたぽたした、ださい名ではないか。これが伝わらないのは残念である。
途中までしか読まなかったハリー・ポッターの原文であるが、あのどすぐろい世界を描いた著者はえらい!と思った。そしてこれを読むのに耐うる英米人は、おそらくキリスト教徒ではあるまい、と思った。善か悪か。神か悪魔か。この二元論には入らない世界だからだ。たとえば指輪物語、ナルニア国ものがたり、それとは全然違う。
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