ずいずいずっころばし
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2005年04月05日(火) |
"The Remains of the Day" |
英国生活がなつかしく思い出される昨今である。 キャンパス内を流れる小川のほとりで午後のお茶を独りのんびりと楽しんでいると、一人の紳士が傍らにきて隣りに座っても良いかと尋ねた。 「どうぞ」と言うとスコーンとココアビスケットを勧めながら座った。 それがR教授とのはじめての出会いだった。 音楽の話や文学の話をかわしながら楽しいお茶の時間が過ぎていった。それから日々、色々な場所でばったりと出会う機会が多くなって会話を深めるまでになった。そんなある日、日本人でもある作家カズオ・イシグロの話題がでて「日の名残」についての感想を聞かれた。私は英国人より英国的な香りがするというと、では次回カズオ・イシグロが最初に書いた小説を持ってくるからその感想も聞かせてくれと言った。 それが↓だ。
 
原題は[ A Pale View of Hills]だった。 この本を借りて家に帰って読むと中にこんなカードが入っていた。↓
 
私が大好きなゲインズボロウThomas Gainsboroughの"The Morning Walk"とArthur Hughesの"April Love"だった。 ナショナル・ギャラリーとテイト・ギャラリー所蔵の絵のカードだった。
そしてこのカードの裏にはRの美しい筆跡で色々なことが書いてあった。 カズオ・イシグロは英国の文学賞である「ブッカー賞」をこの作品でとって華麗なデビューをした。 そしてこのカズオ・イシグロはこのカンタベリーの大學にかつては在籍していたのだった。 私とRはカズオ・イシグロも佇んでいたかもしれないキャンパスの川べりに座っていつまでもつきないカズオの作品について語り合った。 先日「柴田元幸と9人の作家たち」という本で翻訳者の柴田元幸がカズオ・イシグロにインタビューしているCDもこの本の中に入っていて、生のカズオ・イシグロの声を聞いた。作者自身にその作品の根幹を尋ねるこんな機会はめったにないので感動した。これは永久保存に値する宝物になった。 Rからもらったこの原書は英国生活の最もきらめきに満ちた日々の残照となった。 私にとってもこの「日の名残り」は文字通り"The Remains of the Day"となった。
カンタベリーの家はカズオ・イシグロが通っていた大學のすぐ側で、カンタベリー大聖堂にも近かった。 大學からカンタベリーの街へ行くときはバスもでていたけれど、学生は背丈ほどのびた草むらの獣道をかきわけて街へ降りていくのが常だった。 背丈ほどの草むらを降りていくと人家があり、そこにはフットパスとよばれる私道があり、その道が私は大好きだった。 フットパスを過ぎると繁華な通りへでる。そこはチョーサーの「カンタベリー物語」で有名なイギリス国教会カンタベリー大聖堂がそびえている。 いまだに英国各地から巡礼に来る人や観光客で賑やかだ。
大學は小高い丘の頂上にあって、そこから眼下に広がるカンタベリー大聖堂を見下ろすのはなんとも豊かな気持ちになったものだ。 キャンパスの中を小川が流れていてそこに鴨や水鳥が遊んでいて学生達は川縁に座って語り合ったり、本を読んだり、昼寝したりした。 午前と午後2回お茶の時間があり、スコーンやビスケット、お茶が供される。 紅茶カップを手にかわべりで先生と議論したりするのは格別な楽しみだった。
英国からたよりがくるといつも懐かしさにかられる。 牧師さんのパパはちっっとも牧師さんらしくないひとで、むしろ人間くさい人だった。 食事中に高校生の息子がパパをかついだりするとそれにうまうまと乗ってしまって、すぐだまされてしまう。 かつがれたのにも気がつかず怒ると息子が「父さんったらー!冗談だってばー!」と言うと、それにまた腹をたてたりするまぬけなところもあって愉快な家族だった。
娘二人は独立してよそで生活。英国は16歳になるとほとんど親元を離れる。 日曜日になると皆実家に山のような洗濯物を抱えてかえってくる。 長女は同棲をしているらしかった。パパに一度同棲することをどう思うか聞いたことがあった。 パパは牧師さんなので同棲は認めてはいなかったけれど、厳しくいましめることはせず、好きにさせていると言った。随分ファジーだとおもったものだ。
この長女と私はよく喧嘩した。電話のことで大喧嘩。でもさっぱりした気性で嫌いではなかった。 思い出がありすぎてなつかしすぎて便りをもらうと涙がでてくる。 もう私には両親もなく、帰る家もないけれどカンタベリーが私のふるさとになった。 イギリスは私にとってなつかしい故郷だ。
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