ずいずいずっころばし DiaryINDEX|past|will
英国での思い出の一つにシェイクスピアがある。
詩の形式でなく私が読みとった日本語訳の詩を英語に意訳するのである。 それをR教授が聞いて「ふむ、なるほど」などと言って、今度は英詩をR教授が英語で解釈するのである。 英国人の英文学の教授が英詩を解釈し朗読。日本人の私が日本語訳の詩を英語に意訳し解釈する。 そして討論。微妙な英語、古語の解説、などを聞くのだから面白い限りだ。 それもこれは授業ではなく二人の個人的な楽しみとして交わすのであるから輝かしいものであった。 わからない英単語はその場で辞書をひけとRは私に言う。意味を教えてよ!という私の願いは聞いては貰えない。それはレストランであっても、バッグの中から辞書を取り出させる。 言葉に関しては甘えは許して貰えなかった。 ちなみに私はR教授の生徒でもなんでもないのである。 たまたまキャンパスの川べりでお茶を飲んで知り合っただけなのである。 この二人の「日本語訳から意訳した英訳」「英語による英詩の解釈」は実に楽しいものだった。 Rにしてみれば私ほど楽しさは得られなかったのではと思うのであるが、さながらバーナード・ショーの「ピグマリオン」つまり映画“マイ・フェア・レディ”のヒギンズ教授のような胸中だったのかもしれない。
R教授との個人的なこうしたつながりは英国生活を飾る最も楽しい光の部分であった。 そして私の英語はいつのまにかR教授の話す英語の癖に似てきてしまって大仰な形容詞に満ちたものになった。 Rにとって、無鉄砲で直線的な私はきっとヒギンズ教授がイライザのコックニーなまりに興味を抱いたのと同じように奇妙な東洋のナンセンスを見る思いだったにちがいない。 なつかしい英国での思い出の一ページである。
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