ずいずいずっころばし
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2005年05月09日(月) |
目には見えないけれどあるもの |
塾でアルバイト教師をしていたときのこと、一人の女の子が入塾してきた。
そのこの母親は心臓病で妊娠を禁じられていたのだけれど、命と引き替えにその子を出産した。そしてやがて亡くなってしまったという。
そんな妻が命と引き替えにしてまで産んだ子供をその夫は、後妻のいうがままに、独身の妹つまりそのこの叔母にあたる人に預けて遠方へ去っていってしまったという。
独身の叔母さんは助産婦をしながらそのこを育てた。
明るく元気一杯の女の子。勉強も良くでき、笑顔が愛くるしいこだった。
ある日塾が終わって後かたづけをしていたら、その叔母さんがやってきて風呂敷包みから重箱を出した。
「いつもお世話になりっぱなしで、ご挨拶もままならずに失礼しています」と丁寧なご挨拶。
「子供が大きくなったら先生のようになりたいと言ってはりきっています」と言う。
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」とにこにこする私。
「母親が生きていたらどんなにか喜ぶ事でしょう。今日はその母親が生前好きだったぼたもちを作ってきました。」と言って重箱を差し出した。
重箱の中身は大きな田舎風ぼたもちだった。
家に帰ってさっそく食べてみたら昔母が作ってくれた素朴なぼたもちと同じ味だった。
もち米を半突きして、つぶし餡がたっぷりからまったおいしい、おいしい、懐かしい母の味だった。時間と手間とたっぷりの愛情で出来た味だった。
食べ終わって、すぐに私は可愛い端きれで小さなポシェットを縫った。そのポシェットと一緒に重箱を女の子の家に返しに行った。
小さな露地を入るとその子の家があった。
ポシェットをみつけると、女の子は「わ〜い」と言ってうさぎのようにはねた。
「わ〜い」と言ってうさぎのようにはねたかったのは私も同じだった。思わぬ時に懐かしい母の味をいただけたのだもの。
こんな愛情たっぷりの叔母さんに育てられたその子はきっと幸せだ。
目に見えないものでも、心のなかにいつまでも灯(とも)る「灯」ってある。
そういう灯って不思議な灯なのだと思う。
さみしいときや、くじけそうになったときに心をあたためてくれるのもその灯。
心に邪な気持ちが沸いてきたときとか、捨て鉢になったとき、その灯が一瞬心をかすめる。
するとわずかのとまどいと共に「待て!」と自らを止めようとする声がする。
言葉にすると何か形のない漠としたものだけれど、小さくても、大風が吹いても消えることがない「灯火」のようなものがある。
母親も、父親もいない子だったけれど、生活するのに精一杯の叔母さんだったけれど、見えない灯がこの子の心にはともっている。 命とひきかえに産んだ母の愛情と、叔母さんの愛情が、見えないともし火となってこの子を温め育んでいる。
この世には目にはみえないけれど消えることのない灯火がある。
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