ずいずいずっころばし
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2005年05月15日(日) 「喫茶去(きっさこ)」

竹で編んだ朽ちかけた小さな扉を開けるとしっとりと露を含んだ飛び石が私を導いてくれた。

庭と呼ぶにはあまりにも狭いたたずまいだが、つくばいがあり風情があるひなびた趣を呈していた。

昔風な引き戸を開け声をかけてみた。

「ごめんください・・・」

目に飛び込んできた最初のものは真っ白な足袋。

白髪を品良く結い上げた着物姿の老婦人がでてきた。

それが私のお煎茶の師とのはじめての出会いであった。

人づてに聞いて訪ねたお茶の師匠の家。

それはあばら家と呼んでもよいくらい質素な家だった。

引っ越してまもない私は茶道の稽古を再開したいとおもい、茶道の師を探していたとき、ここを紹介されて訪ねたのだった。

老婦人は私の訪問の意を解すと、居ずまいを正してご挨拶下さった。

「あいにくではございますが、当方は茶道は茶道でも煎茶道をご教授しております」とおっしゃった。表千家の茶道を希望していたのにとんだ勘違いのお煎茶の師を訪問してしまったようだった。

しかし、この老婦人はこれも何かのご縁、「喫茶去(きっさこ)」と言う禅の言葉がございます。どうぞおあがりになってお茶でもお召し上がりくださいまうよう・・っと勧めてくださった。

「あばら家に鶴一羽」という風情のこの老婦人の凛とした、しかもただものではない立ち居振舞いに私は興味を惹かれ、言われるがままに上がった。

6帖間に煎茶の道具が置かれてあった。

見たこともない煎茶器の飾りつけだ。

涼炉と呼ばれる白泥でできた炉が置かれ、同じく白泥でできた湯燗、羽箒がセットされている。

老婦人が戸口で扇子を膝前においてご挨拶の口上を述べられ、お煎茶のお点前が始まった。

見るもの全てはじめてのことばかりで驚きながらも非常に興味ある光景だった。

出されたお茶は今まで飲んだこともないくらい甘露なものだった。

お茶がこんなにも甘く香り豊なものだったのだろうか?とおもわず目をつむって味わったほどだ。

茶たくは純錫で出来た蓮の葉型のもの。

お茶碗は何と古染付「大明制喜年製」(?)とあった。

明の時代のもの!!!!

急須は紫泥の美しい色の逸品だった。

何もかもが静かで凛として美しかった。

そしてこの老婦人の言葉のたおやかなこと!

美しい言葉。

家具らしきものとてない本当に草庵と呼ぶようなこの家にたった一人で煎茶三昧に暮れるこの鶴のように美しい老婦人はいったいどんな過去を持つ人なのだろうか。

私はもうすっかりこの老婦人のとりことなってしまい、以来煎茶道に励むに至った。

夏目漱石の草枕の中に、玉露の味について書いてある一節がある。

「濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一滴づつ落として味わってみるのは、閑人適意の韻事(暇な人間が気ままにやる風流)である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違いだ。舌頭へぽとりとのせて、清いものが四方へ散れば喉へ下るべき液はほとんどない。ただ馥郁たるにおいが食道から胃の中へ染み渡るのみである。歯を用いるのは卑しい.水はあまりに軽い。玉露に至ってはこまやかなること、淡水の境を脱して、あごを疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である。眠れぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい」

とある。玉露の味わい方にしてけだし名言なり。

こうして私は茶道と煎茶道の二股の道を日夜歩み漱石の言う「閑人適意の韻事」にうつつをぬかし、恋をし、音楽をし、時には苦渋の悩みを背負い歩んでいる。

ひょいと迷い込むように訪ねた庵で禅の言葉「喫茶去」をこともなげに投げ掛けられた縁。

縁は異なもの味なもの。

それはあたかも「玉露」のような味。

※「喫茶去(きっさこ)」

中国の禅僧の鞘州という人が残した有名な禅の言葉。「お茶でも召しあがれ(喫茶去(きっさこ)」と主人はお客のためにお茶を用意してすすめます。お客もすなおに喫茶去とそのお茶を頂きます。喫茶去と客と主人が一つ心となったところに本当のお茶の味が生まれる。


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