優雅だった外国銀行

tonton

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6 最初の3人
2005年05月08日(日)

香港支店勤務が長いジュリアン氏がアシスタントとしてやって来た。 やはりフランス人は、極東にはなかなか来たがらないらしい。 香港在住のフランス人達は、さすがに日本がどの程度かを知っている。 37才の少々太りぎみで、黒髪、悪戯っぽい大きな目、話す時の身振り手振りは、ラボルド氏以上であった。 東洋語学校で中国語を学んだとかで、読み方は違ったが、漢字をかなり理解していた。 若い頃、演劇の勉強もしていたそうで、フランソワーズ・モレシャンとクラスが一緒だったと言って、一見して目立ちがり屋と分かる10代のモレシャン嬢との演劇部の写真を見せてくれた。

中国人の訪問者が急に増えた、香港で世話になったと言って、入れ代わり立ち代わり訪ねて来る。 俄然、夜のお付き合いも増える、毎晩のように田村町(現西新橋)の日比谷通り沿いに2・3軒ある、大きな中国料理店へ行くようになった。 中国料理は胃にもたれる事が少なく好きであったが、何よりも良い点は閉店が早い事である。 朝が早い身には、それが一番のご馳走であった。

バンク・ナショナル・ドゥ・パリの香港支店は、長い歴史があり、金融市場で重要な役割を演じていて、従業員も、600人を擁しているとのことだ。 ジュリアン氏は、「我々は、バンク・ナショナル・ドゥ・パリ東京の最初の3人だ」と言って、ラボルド氏、謙治と3人で肩を組んだ。







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