優雅だった外国銀行

tonton

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19 坊やがボスに
2005年05月25日(水)

未だ少年のあどけなさが残っている25才の青年シュワール氏が、秘書課のチーフとして赴任して来た。 2才になる子供が居たが、父親自身がかわいい坊やなのである。 パリ国立銀行東京支店には、いわゆる外資企業で働く典型的な女性といったタイプの女性は少なかったけれど零では無かった。 シュワール氏は、そういう女性たちの恰好のおもちゃになり本人はご満悦であった。 大分後になって分かったのだが、当時お相手をしていた女性たちの給料が桁外れにその時上がっていた。

謙治は、これまでに来た十数人のフランス人達を、性格の違いはあれ、それぞれ好きであったし尊敬もしていた。 しかし、シュワール氏に対しては尊敬の念を抱く事は難しかった。 それは女性問題とは別のところにあった。 若いシュワール氏は、謙治を召し使い扱いし、クリーニング屋に持っていくものや奥さんの靴の修理まで持って来た。 そして、もっと謙治をおこらせたのは、アパートが狭いと言って引っ越した時の事である。 シュワール氏は、仕事が忙しいという理由で、引っ越しの日も銀行へ行ってしまった。 謙治が総べてを仕切らざるをえなかったのであるが、冷蔵庫、食器棚、トイレも、ベッドルームも、何の準備も無いひどい状態であったため随分遅くなった。 シュワール氏は、5時以降に事務所にいる事はまず無い。 いつも女たちと何処かで、たむろしているのは知っていたが、引っ越しの日ぐらい早く帰って来るものと謙治は片付けをしながら考えていたが、帰って来たのは8時を過ぎていた。 そして、ステレオのセッティングをしていた謙治に言った言葉は「ありがとう」ではなく「何をやっているのだ」であった。

幸いな事に、1年程でシュワール氏は転勤になった。 次に来たベナール氏は、背の高いハンサムな青年であったが、仕事熱心で統率力もあり、シュワール氏によってすっかり乱れてしまった秘書課を上手に引き締めた。 そして暫くは、シュワール氏が溜めていた膨大な量の仕事を片付けるのに大忙しであった。

副支店長パラス氏の後任のドゥ・モンティーユ氏は、名前からも分かるように貴族の出身であり、フランス人には珍しく5人の子持ちであるにも拘らず、奥さんはまだ欲しそうであった。 この2人、ドゥ・モンティーユ氏とベナール氏は、謙治を高く評価し、謙治は働き甲斐を感じていた。

大阪支店を開設する事になった。 どうした訳か今回は1階にこだわらず、たった1日でシャピュー氏は場所を決めて来た。 車寄せが気に入ったのだそうだ。 大阪大林ビル20階である。 初代大阪支店長としてドゥ・モンティーユ氏が赴任した。 独りで奮闘しているドゥ・モンティーユ氏を謙治は手伝いに行きたかったが許可がでなかった。 文具を買う事も出来ないらしく、ノートを送れ、ボールペンを送れと言って来るドゥ・モンティーユ氏が哀れでならなかった。





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