毎日タブン補給する
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多少その手の勉強をかじったことがあるせいか、コドモがまだ幼い頃、理性的に叱っている時にせよ、感情的に怒鳴っている時にせよ、絶対に自分の中で禁忌にしていた言葉があった。 コドモを否定する言葉。 コドモを拒絶する言葉。
チュウタロウはまだ迷子に過ぎなかった。 水熊でオハマに対面するまでは。 ただ、ハハの愛にはぐれた迷子であるだけだった。
5才といえば、まったくなんの記憶もないわけではないだろう。 ハハのかすかな体温、ハハのかすかなやわらかい香り。 はっきりとではなく、ほんとにうっすらとそれらはチュウタロウの記憶に刻みつけられていただろう。 その記憶があるからこそ、こうまで一途にハハを恋う。
年は30を超え、人を切ることになんの躊躇いもないような任侠の世界に生きていながら、ハハを恋うという感情だけはコドモの、幼い気持ちのまま成長してしまった。 仲のよいオヤコをみれば、うらやましくてたまらず、たとえ他人のハハオヤにでも優しくされれば、胸をつまらせ涙する。
オトウト分のオヤとはいえ、会って間もないそのハハオヤに切ない心情を切々と吐露する。 純情といえば純情。 素直といえば素直。 およそ、30過ぎの渡世人には似つかわしくないその行為。
そうして募る想いに比例して、ハハオヤ像はどんどん美化されてゆく。 例え自分は世間様から後ろ指をさされるヤクザであっても、ハハオヤから拒絶されることなど、夢にも思わない。
自分がこれだけ一途に想っているのだ、ハハオヤだって同じに違いない。 例え、こんななりに見をやつしていてもハハオヤだけは何があっても自分を受け入れて抱きしめてくれる。 世のハハオヤとはそういうものだ。
だが、やっと巡り会った実のハハオヤは、抱きしめるどころか、そばへも寄らせてはくれなかった。 どれだけチュウタロウが自分の真を切実に訴えても、聞き入れてさえくれなかった。
どれだけかき口説いても、にじり寄っても、すがりついても。 そのことごとくを目の前で残酷な口調で断絶する。 チュウタロウを否定し、拒絶し言葉で切り捨てる。
どんなに感情的になっていても、コドモを否定し、拒絶してはいけない。 そうされたコドモは唯一無二の存在のハハオヤに突き放されて、荒野に放り出された思いをするからだ。 ハハオヤに捨てられたような思いをするからだ。
モノの見事にチュウタロウはオハマに放り出され、捨てられてしまった。 たとえその内実がどうであれ、投げかけられた言葉は覆せない。
あんなに恋慕い、それだけを生き甲斐にしてきたハハオヤ。 探して探して探し抜いて、やっと巡り会うことができたハハオヤは、手を伸ばせば届くところにいるというのに、その心は海の底より遠いところにある。
ただハハの愛にはぐれた迷子にすぎなかったチュウタロウはその時、ハハに捨てられたコになった。 死ぬほど恋いこがれたハハオヤに捨てられたコになってしまった。
この残酷な結果にチュウタロウはただ泣くしかない。 自分を思い、自分の長い年月を思い、その哀れさに泣くしかない。 そして、今その瞬間自分を捨てたハハオヤを捨てるしかない。
チュウタロウが最後に発した「おっかさん!」は、オヤにきつく叱られた幼子が許しを求め、「キライにならないで!」と乞う声音そのものであった。 そうまでしてすがるムスコを断つハハ。
ハハが何故、自分をそのように扱うのか。 チュウタロウにわからないわけはない。
ハハは守らねばならない。 水熊を、可愛い年頃の愛する娘を、そして自分のメンツを。 ヤクザのムスコがいるらしいと世間が知ってしまわぬように。 それでいままで築き上げてきた大切なものが、ガラガラと崩れてしまわぬように。
だが、それを理解できたところでチュウタロウの受けた傷はあまりに深い。 その傷口はぽっかりと口を開け、空虚だ。
ハハは意を翻し、ムスコを追ってきた。 だが、チュウタロウが喜んで「おっかさん!」と飛び出していくには、あまりにも残酷な言葉を投げつけすぎた。 チュウタロウの心に穴を開けすぎた。
ハハオヤに対面するまでも、チュウタロウの心には寂寞とした想いがあふれていただろう。 しかしそれは今のような寒々とした空洞ではなかっただろう。
それはきっとどこかしらほんのりと暖かく、心のよりどころになりうる寂しさだっただろう。 だが、今カレの心に広がる寂寥感は耐え難くこごえるような風景だろう。
ハハにばっさりと捨てられたチュウタロウは、この先ずっとその風景を心にもって生きていかなければならない。 ぽっかり開いた傷口を抱えて生きていかなければならない。
しかし、それはハハも同じだ。 自分を忘れもせず長い年月かけてやっと探し当てて訪ねて来てくれたムスコを、ハハにはハハの重い理由があるとはいえ、ああまで非常に切り捨ててしまった。 そのハハオヤが無傷でいられるわけがない。
ハハもまた同じ傷を一生抱えて生きて行かざるを得ない。 同じ傷を抱えることがせめてものムスコへの償い。
なるほど、チュウタロウはハハから自立をしたのだ。 例え本人の望むような形でない不本意な自立であっても。 もう理想のハハオヤ像に思い焦がれる必要もない。
ラスト、朝日のなか旅立つチュウタロウの背中に、いいようのない孤独と悲しさと、そしてぽっかり開いた空洞が見えるようで、泣けた。 カレの抱えた空虚な穴があまりにも不憫で憐れで、わたしを泣かせた。
大先輩方に囲まれての今回の公演だった。 こんなに凄い先輩方と一緒では、ある意味潰されてしまうんじゃないか?と危惧したこともあった。
キャリアも場数もまったく比べものにならない先輩方だ。 経験値が違う。 それらの先輩方と肩を並べて同等に、など望むべくもない。
見ていなくてもそのくらいのことは簡単に想像がつく。 まして、同じ板の上にあがれば、見たくなくてもキャリアの差ははっきりとわかるだろう。
人によって感じることは違うだろうが、(あ、あの部分が・・・)(ここがちょっと・・)と思われた方も少なからずいらっしゃることだろう。 だが、いってみればそれは当然。 むしろそうでなければ今度は、先輩方は一体なにをしてらっしゃる?ということになってしまう。
つたない部分はそこここにあったと思われる。 だが、ツヨシくんが全身全霊を傾けてこの舞台に臨んでいる姿勢は、はっきりと感じさせてもらった。
今カレにできうる精一杯。 今カレにできうる最高の芝居。 日々、自分で反省し、精進しながら、カレはこうして経験をつんでいっている途中なのだ。
まだまだ!の部分も直視した。 けれど、それを補って余りある感動を見せてもらった。 素晴らしい舞台をみせてもらった。
ツヨシくん、他の共演者さん、スタッフ、プロデューサー、すべてのこの舞台に関わった方々にこころから感謝したいと思います。 本当にありがとう。 本当に本当にありがとうございました!!
27日、マチネ。 ラスト、素盲のキンゴロウと対峙したシーンで客席から、「クサナギ!!!!」と声がかかった。 太いよくとおるオトコの方の声だった。
わたしは一瞬驚き、その直後うれしさに体中の毛穴が開いたようにぶわっと総毛だった。 自分がその場にいたことが飛び上がるくらいうれしく、そして感動した。
またひとつ、誰もが手に入れられるわけではない貴重で大きな勲章をカレは頂いたのだ、と思った。 その声を聞いたわたしもまた舞台の邪魔にならぬよう小さく拍手をしながら、心の中で「クサナギ!日本一!!」と声を掛けていた。
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