代理出産で渦中の人、向井亜紀さんが区役所から母子手帳を受け取ることが出来たそうだ。 この代理出産という問題は、人によってそれぞれ受け取り方があるだろう。 ここで言及するつもりはないが、この一連の話題で思い出したことがある。
「袖振り合うも多生の縁」と言う言葉があるが、人はその人生の中で、それがたとえ言葉も交わさない、ほんの一瞬の出会いであっても、強烈に自分の命に刻み込まれる人達がいる。 向井さんの話で思い出した人達・・。それは一組の夫婦であった。 私が小学生の頃の話であるから、もう何十年も昔のことだ。 私が乗車していたバスに、その夫婦は乗ってきた。 奥さんの方は乳児を抱いていた。 彼女はその子に母親らしい愛情溢れる眼差しを向け、一生懸命あやしていた。 私は丁度正面でその光景を何とはなしに見ていたのだが、ふと彼女がその子供の洋服のフードを外した。 その瞬間、私はぎょっとした。 その乳児は精巧にできた人形であったのだ。 その人形がとても良くできていて、それが返って不気味だった。 他の乗客達も驚いたらしく、その親子(?)に皆視線が釘付けになった。 隣のご主人は、その射るような無遠慮な視線に必死に耐えていた。 子供心にもそれが分った。 奥さんは子供を流産してしまったのだろうか・・?子供が欲しくても授かることの出来ない夫婦なのだろうか・・?幼い頭で私は出来る限りの想像をしたことを覚えている。 真実は分らないが、ただ、不憫な奥さんを想うご主人の優しさが、思い出す度に切なくなってくるのである。
もう一つ。 これもかれこれ二十年近く昔の話であろうか。 電車に乗っていると、近くに立っていた四十代位の女性が、いきなり車中で傘を広げた。 男物の傘であった。 当然周りの者は訝しげにその女性を見た。 彼女は一人でぶつぶつと何か喋っており、その一重の瞼には5mmぐらいの太さのアイラインが引かれていた。 その黒い線は、まるでゴシック体で書かれた「へ」の字のように見えた。 窓の外の景色を見つめる眼は、うつろに光っており、彼女の知能が正常でないことはもう一目瞭然であった。 更に驚くべきことに、彼女は妊娠していた。もうあの膨らみは臨月のように見受けられた。 どこかの男に悪戯されたのだろうか・・、同意の上でのことだったのか・・。 どちらにしても、とても子供を育てられるような能力は持っていないように感じられた。 ……あの女性は無事に出産することが出来たのだろうか…? あの時お腹の中にいた子供はどうなったのだろうか…? 無事に育っていれば、もう二十歳近くになるだろう。 あの子の運命を考えると…胸が痛む。
この人達のことを、私は日々の生活の流れの中で殆んど忘れている。 しかし、ふとした事がきっかけとなって、彼等は、当時の大気の温度や匂いまでも伴って、私の五感に甦って来るのである。
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