職場で問題がある。しかし解決などできない。職場にキチガイがいる。でもどうにもできない。改善などできない。仲良くすることもできない。好きになることもできない。その必要もない。大嫌いなやつがいる。でもいいんじゃないかと思う。全ての人間を好きになることも好かれることもできない。隣のやつを死ぬほど嫌いでも生活は普通にできる。それが道徳と言うものだ。世の中は好き嫌いではない。全ての人間に好かれなければならないというイラショナルビリーフから離れよう。さあ仕事をしようという気になってきた。kやhが大嫌いでも変えることはできないし、好きになることもできないし好かれる必要もないしその必要もない。しかし道徳的なことはできる。道徳的に振舞うことができれば、以上の三つの必要はない。いじめるやつやいけ好かないやつに好かれようと努力したり、好きになろうと努力する必要は全くない。キチガイがいたとしてもどうしようもないのだ。自分が道徳的な振舞いさえできればそれでいいのだ。そいつに迷惑をかけられればはっきり言う。それさえできればそいつを変える必要はないし好かれる必要もないし好きになる必要もない。誰からも好かれなくていいなんてなんて楽だろう。誰も変える必要がないなんてなんて楽だろう。 私は障害者だ。でも立派に働いている。素晴らしいことだ。アサーションをやろう。率直に行こう。迷惑をかけられたら我慢せずに言おう。死ぬほど嫌いでもいいんだ。変える必要もないし、好きになる必要もないし好かれる必要もない。気にする必要もない。egでもババアにからまれた。よくあれでまた行きたいなんて思ったものだ。行かなくていいんだ。ババアになんか好かれる必要なんかないんだ。というよりなんでババアがいるんだ。
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