希望の日記

2005年06月07日(火) ある日

 俺がこんな職場に放り込まれたのは女のせいだ。俺が病気になったのは女のせいだ。入院しても治らなかったのも女のせいだ。俺が死にかけたのも女のせいだ。俺は女と本当に相性が悪い。絶対にうまく行かない。女と付き合うどころか一緒にいるだけでものすごいストレスだ。女と付き合うのは諦めた方がいい。というか付き合ったことなんかないけど。そんな気にならない。薬局のねえちゃんには統合失調症ということで振られた。仲良くする必要なんかないのだ。嫌いだったら。向こうが嫌いな場合でも同じだ。そうすることですごくストレスが軽減される。でも道徳さえちゃんとしていれば文句を言われる筋合いなど絶対にない。嫌いなのに付き合う方がよっぽどおかしい。hやkと仲良くしようと努力するなんてキチガイだ。掲示板のキチガイどもと仲良くしようとするなんて頭おかしい。もっと自分を大事にしよう。道徳と礼儀に殉じよう。たとえ私が頭おかしくても絶対に道徳に従うと誓い、その通り実行できたとしたら絶対に誰にも手出しできない。これだけは絶対に正しい。中学くらいから女は嫌いだった。無理して好きになろうとするからストレスがたまり、トラブルの元になる。道徳で女と限りなく遠ざかろう。あの統合失調症の中学教師の気の狂った目が忘れられない。あいつのせいで俺の人生は台無しになったのだ。
 私のイラショナルビリーフは誰からも好かれなければならない、誰とでも仲良くしなければならない、嫌いなやつとでも自分をいじめるやつとでも仲良くしなければならないというものである。これの起源は小さい頃嫌われ者で俺にも意地悪をしたガキの母親に文句を言ったら仲良くしてと言われたのを真に受けて付き合い始めたことだ。それ以来、自分をいじめるやつ、不愉快なやつ、嫌われ者とばかり付き合うようになった。刷り込みだろうか。それですっかりおかしな人間になってしまった。俺はもう疲れた。休みたい。人間やめたい。今も薄気味悪い鬼ババアがそばに毎日寄ってきていじめる。しかも片方で欲情を燃やしながら。気が狂いそうになる。誰とでも仲良くなんてできるわけないだろう。嫌いなやつ、自分をいじめるやつと仲良くなんかできるわけないだろう。女なんかと仲良くできるわけないだろう。そこで道徳の出番になる。道徳はキチガイから自分を遠ざけ身を守る道具である。イラショナルビリーフをぶち壊せ。誰からも好かれるわけない。誰でも好きになれるわけない。自分をいじめる人間と仲良くするな。自分を苦しめることは決してするな。キチガイにやさしい顔を見せるな。女を甘やかすな。女から遠ざかれ。
 人を変えることなんかできない。特に女は無理だ。バカでキチガイ。絶対無理だ。仲良くするなんか絶対無理だ。人と仲良くするなんて一体どうして可能なんだ。絶対無理に決まっているだろう。
 甘えはよくない。犯罪だ。私は自分に甘えすぎた。高望みをするということは自分に過大な要求をするということだ。それは自分に甘えることだ。それは自分を苦しめ、病に追いこむ。ほどほどがよい。
 女とかバカとかキチガイを見ると、1)こいつを改善してやろう、2)こいつと仲良くなろう、3)こいつをやっつけてやろうと思う。どれも不可能だ。絶対に不可能だ。できるのは気を失ったふりか、とにかく相手にしないことだ。嫌いなやつ、自分をいじめるやつと絶対に仲良くする必要はない。変える必要もない。ただ道徳あるのみだ。道徳がそのキチガイから無限に遠ざけてくれるだろう。嫌いだったら絶対に付き合わなくて良いのだ。
 良い人である必要などないではないか。人に好かれる必要などないではないか。人を好きになる必要などないではないか。自分をいじめるやつと仲良くなる必要などないではないか。嫌われ者と仲良くなる必要はない。キチガイを変える必要などない。道徳的であれ。道徳で自分を守ることができる。完全にだ。道徳で完全に自己主張できる。
 道徳しか信じるものはない。


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