今日は病院に行って来た。リスパの液体をもらってきた。文校も大変疲れる。飲み会も2回に一回で十分だ。誰とでも仲良くできないしその必要もない。誰からも好かれる必要はないし好きになる必要もない。誰かを変えることはできないしその必要もない。そう考えると楽になった。道徳や礼儀作法は大切だ。文校も礼儀作法を学ぶ場所と思うと大変役に立つ。閉ざされた空間で役にも立たないことをやっているだけで責任はない。結局やるべきことは全然知らない人といかに付き合うかということだ。会社に行くのも結局礼儀作法の練習だ。嫌いな人間と付き合う必要はない。なぜそう思うかというと小さい頃嫌いな人間と付き合って大変嫌な変化をこうむったからだ。嫌いな人間と付き合うのは大変なストレスだ。 私がこうなった理由がよくわかってきた。嫌な人間と付き合っておかしな人間になったこと。人と微妙にうまく付き合えなくなってきたこと。更に嫌な人間と付き合ってしまったこと。更にストレスがたまって、おかしな人間になってしまったこと。キチガイ教師にいじめられたこと。母親ともめたこと。クラスの人間とも家族とも交流がなくなってプラスのストロークが一切受けられなくなってきたこと。社会との交流が途絶え、分裂病的相貌を帯びてきたこと。ストレスが余りに大きくなってきたため、生きる気力を失ったこと。社会との交流が絶えたため、道徳水準が低下したこと。反社会的人格が醸成されたこと。良心が麻痺して境界例か人格障害的になったこと。そのためますますプラスのストロークが得られない悪循環に陥ったこと。自閉して統合失調症的人格が強まったこと。 今考えられる方法は、道徳レベルをあげること。そして非難を避けること。非難される余地のない行動をとっていればもめることはない。ババアともめた最初のきっかけは向こうが私のことを非難してきたのだ。逃げようがないから応戦するしかないじゃないか。私が何をしたというのか。一方的に攻撃されただけじゃないか。私の道徳的レベルの低下をついてきたのだ。hも同じだ。でもそれは長いあいだかかってそうなったのだから仕方がないのだ。私が少しのことでも怒りっぽいのはプラスのストロークがかけているからだが、結局それは道徳レベルが低下したため社会と交流できなくなったからだ。感情の疎通性を失ったのだ。それを癒すのは文校は非常にいい場所だと思う。金をもらっているのではなく払っているのだから怒られる心配はない。道徳レベルを上げることはさほど難しくないし時間もかからないし、金もかからない。私はもともと道徳を知っているのに逆のことばかりやっているのだ。誰でも好きになる必要はないということ誰からも好かれることは不可能だからそのように努力するには絶対に失敗に終わる。誰かを変えることも。そうすると楽になる。自分の道徳レベルを上げることにエネルギーを使える。礼儀作法にエネルギーを使うと大変楽になる。そこからプラスのストロークが流れ込む。それは不思議なほどだ。それが私のやるべきことだ。なぜなら人工的に統合失調症的になったのは道徳レベル低下、疎外、プラスのストローク喪失、さらなる道徳レベル低下という悪循環が原因だからだ。カウンセリングを受けていてあれは心のマッサージだ。結局道徳は抜きでプラスのストロークをくれる唯一の場だ。付き合いにくい相手と付き合う必要はない。そういう相手を変えようと努力する必要はない。文校も会社は礼儀作法の練習の場だ。文章は二の次だ。結局できるだけ礼儀作法をたくさん身につけて道徳レベルをできるだけ上げて、ストロークをいっぱいもらって干からびて統合失調症的になった私の心をできるだけ癒そう。そういう見通しが立った。礼儀作法の練習。それがメインだ。ただし、全ての人と仲良くすることは不可能だ。全ての人を好きになり、全ての人に好かれ、気に入らない人間と付き合ったり、変えたりすることは絶対不可能ということをわきまえなければならない。
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