今日は天気が悪い。昼から木辺弘児の文章講座を聴きに行こう。文学にようやく目が向いてきた。今まで自分のことばかりだった。外に目を向けた方が良い。 良い人を演じ、誰からも好かれようとする態度の悪い点は嫌いな人間によってこられた場合に拒む理由がなくなることだ。風俗嬢と同じで一番辛いことだ。それをやめることにした。嫌なものは嫌で良い。断る。アサーションの理論だ。無礼な人間を好きになる理由などない。あのババアも同じグループだから拒めないと考えているところが一番腹が立つ。おばはんの一番嫌いな点だ。残された時間が短いから、相手の気持ちなんか無視する。気に入らなければ危害を加える。お前に何の権利があるんだ。hとk。死ね。母親も同じだ。私にはNoという権利がある。礼儀作法や道徳が適正な距離を保つ。私は自分を変える必要ないんではないか。誰か人でも殺したんならだけど。必要なのは必要な礼儀を覚えることだ。それだけで十分なんじゃないか。文校には礼儀作法の勉強に行っているんだと気づいた。良いことに気づいた。自分を変えるなんて過激なことを考えないで必要な礼儀を覚えれば良い。素晴らしい。好き嫌いは変えようがない。適正な距離のとリ方を覚えることだ。 誰とでも仲良くしなくても良いのはほんとだけど、ババアが嫌いとかってなるとまずいかも。自分だけ差別されていると思うだろう。好きにならなくても良いが、嫌いにならなくても良いんじゃないかな。どうでも良いという距離感のとリ方が大事だ。人に勝ちたいとか自分だけ楽をしたいとか道徳に反することは良くないんじゃないかな。kのおっさんはさすがに仏教者だけあって、優しい。その優しさに気づけよ。それは道徳というより当たり前のことで、私は立派な道徳というより当たり前のことができていないんじゃないかな。ブッダの思想とかそういうものが特効薬のように考えるのは間違っている。論理療法、交流分析、アサーション、それより当たり前の礼儀とか行儀とか単純にそういう問題なんじゃないかな。深刻な問題ではないのではないか。仕事ができないのは恐いからではないか。あの気持ち悪いものと働くのは困難だ。私があのキチガイに腹が立つのはこちらの道徳とか礼儀を守らないからだ。結局宗教戦争みたいなものだ。お互いの行儀が悪いと罵る。 道徳にだけ従うと決めていれば、全然不安なことはない。怒りなどの感情や衝動に身を任せることは決してないのだから心配することはない。 オニババが恐くて世渡りできるか。俺の母親がオニババだ。それがどうした。女が孤閨で永く生きればオニババにもなる。恐くも何ともない。俺もオニババだ。なめるな。たぶん今の私はとても恐いらしい。先週怖くないといってくれたが、やっぱり恐いと思う。職場のオニババもただのオニババだろ。いつまで恐がっている。情けない。山田さんも少女のような心を保ちつつ少しずつオニババ化している。大村っておっさんがいたけどあれもオニババ化していた。全然恐くない。前はうつで不安に震えていたが今では私も立派なオニババだ。攻撃衝動を抑えるのがやっとだ。このエネルギーをいい方向に持っていけば必ずうまくいく。常識とか道徳とか。ドーパミンは闘争や競争の時に大量に分泌される。私はもう止まらなくなってしまった。覚醒剤と同じ成分が出まくっている。これを道徳と礼儀と常識の力で統御すれば完璧にうまくいく。人間関係の問題にすりかえてはいけない。好き嫌いなんて何女みたいなことを言っているのだ。オニババとはオニババ同士だから全くどうにでもなる。戦うのも上等だし、手を握ることもできるし、どうにでもなる。気を使う必要などない。egを潜り抜けた私はドーパミンが出まくって躁転した。それがいつか内向し澱んで悪さをし始めた。俺は活火山になってしまった。サドを読んだ時、なぜ読んだかというと兄弟との関係で私は男女間の戦いに興味を持ったからだ。兄と姉はいつも戦っていた。そのえぐさを知らなければならないとなぜか私は考えた。それでなぜかサドを読んでドーパミンが出まくって統合失調症になった。それは薬ですぐ収まった。それが20年以上を経て今また噴出した。休火山は活火山になった。結構なことだ。変われる。自己変革などという危険なものではなく、道徳、倫理、常識、世間知、礼儀作法という極めて健全で穏やかなレベルで。俺が変わるのではなく態度が変わるのだ。恐がって生きていてもしようがない。短い人生だ。俺はオニババだ。女ともオニババとも戦える。女は皆オニババだ。少なくともそうなる可能性がある。キチガイオニババめ、俺が恐がるとでも思っているのか。もう可愛くて臆病な俺ではない。 利口ぶってもしようがない。俺はほとほとバカだと気づいた。バカでいいじゃないか。俺にもこの世の真実はわかる。女の喜びだってわかる。女の快楽は判らないものだと思っていたが俺にもわかる。俺は両性具有だからだ。悪いか。幸運なことだと思う。男の快楽も女の快楽もわかる。神が与えてくれた贈り物だと思っている。俺がわかることはわずかしかない。わかるわずかのことで生きていくしかないじゃないか。それでもう十分過ぎると思っている。本なんか読みきれないくらい買ったじゃないか。もう買うなよ。もう生きていくのに必要ことは全部知ってしまったじゃないか。俺には人間らしい優しい崇高な心を持っているじゃないか。自分でわかっているだろう。自分がどんなに気高い心を持っているか。それを生かせよ。熱い心とクールな頭で生きていけよ。常識と真心さえあれば十分じゃないか。女を見ろ。バカでキチガイで弱いと来ている。それでも男よりタフに生きぬいているじゃないか。それも男より楽しく平和に戦争なんかせずに。子供を生み育てて立派に生きているじゃないか。今もっている常識と知恵で十分に生きていける。熱く生きていこうよ。生きる感動を味わおうよ。 私はオニババの心がわかってしまった。私が恐い人は私の中にオニババを見るのだ。性的快楽のためには人も殺して食ってしまいかねないオニババ。常に暴力衝動と邪悪な底無しの性欲に突き動かされ暴れまわるオニババの存在。私は了解してしまった。私もオニババになってしまった。世のルールを無視して快楽殺人と狂暴な性欲のはけ口を求める邪悪極まりないオニババ。自分がオニババになってしまえばオニババはもう恐くない。お上品ぶって生きていくことはもうできない。ルキノもオニババと化して生き抜いた。殺人衝動と無限に高められた狂暴極まりない性欲。これがオニババのエネルギー源だ。悪徳の栄えに出てきたクレアウィル。鬼女さながらに若い男を引き千切って殺して食う。全ての女はそうである。オニババである。私は女だ。男社会で生きていこうと思ったらオニババにならなければ生きていけない。
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