梅雨だが今日は降らない。礼儀作法、道徳に従おう。そうするとプラスのストロークが流れ込んでくる。小説のコツは肩の力を抜いてリラックスして書くことだ。凝っては思案に能わず。生きることもそうだ。肩の力を抜くことだ。頭に血が上っていてはいけない。オニババ化した人間は相手にしない。礼儀正しく接することではないかな。一緒になって逆上してはバカを見る。身分の低いバカに傷つけられる。冷静に礼儀正しくが肝心だ。相手にしないことだ。オニババ化した人間は女に限らない。ババアに限らない。女に限らない。ヒステリーと昔呼んでいたものだ。男にもヒステリーがある。ヒステリーを相手にしないことだ。絶対に。私が少しくらい遅刻したからといって怒る必要はない。ヒステリーだ。キチガイがこの世には多すぎる。肩の力を抜いて生きよう。そうすれば頭も少しは回る。 樹林を読んでみた。結構面白い。小説を書き出して数年であれくらい書けるとはすごい。私も載りたい。肩の力を抜いて書くことができれば可能じゃないかな。小説の世界も結局約束事だ。約束事をマスターすることで上達する。本当に独創的なものは誰にも理解されない。その世界の常識をどれだけ多く吸収するかで上達は決まる。仕事も人生も同じだ。この世にあと何年いられるかわからんが、この世の約束事をどれだけ覚えられるかで決まるのだ。常識、道徳、礼儀作法、こういうものをどれだけ覚えられるかだ。覚えられれば年齢なんか関係ない。女をゲットするのも結局常識を覚えられるかどうかだ。常識や礼儀、道徳をどれだけ覚えられるか。それが勝負だ。私は世の中から引きこもって、世の中のルールから外れて生きてきたが、ホリエモンだってこの世のルールを破ったから成功したのではなく、この世のルールを人よりたくさん覚えたから成功したのだ。ただITの世界は新しいから勝手にルールを作れるところがある。そこに独創性が生かされる。しかし全くゼロから始めたのではない。人脈を利用したのだ。他人の能力やノウハウを。自分で勉強する代わりに人の常識を利用するのがうまかっただけだ。それで時間を買ったようなものだ。その勢いで古い世界の証券やメディアの世界に進出しようとすると途端に馬脚を現した。それはその世界の常識を知らないところがばれたからだ。日本が特別古いからではなく、世界共通だ。常識やしきたりを守らない人間は入れてもらえないのだ。私が中途入社したときも差別され、いじめを受けた。私が常識を持たないことがすぐに明らかになったからだ。田舎暮らしするときも土地のしきたりや常識さえ守ればうまく行くだろう。プラスのストロークがどんどん得られるだろう。人間、修行だ。常識やしきたりや道徳や礼儀を覚える修行だ。 世の中の約束事を覚えることだ。自分が得するように振舞うことだ。オニババを相手にしないことだ。自分が何よりオニババ化しないことだ。オニババはオニババの匂いをピラニアが血の匂いをかぎつけるように嗅ぎ付ける。オニババ化には十分注意しよう。オニババを絶滅させるとかオニババを改善するとか考えないことだ。他人を変えるのは絶対無理だ。自分を変えることさえ不可能なのに。人間を変えられると考えるのは犯罪者か狂人のみだ。変えられるのは行動だけだ。習慣づけだけだ。それは礼儀や常識や約束事と呼ばれる。俺みたいにそれすら嫌がるめんど臭がりがいるのに、自分を変えるなんて。全く本末転倒だ。常識さえ覚えれば済むことなのに、何が人間失格だ。お前こそ死ね。ドキチガイ。常識を覚えようとしない人間を改造しようとするのは本末転倒だろう。覚えないのは覚えたくないからに他ならない。そんな人間を無理やり常識を植え付けようとしても無駄なんじゃないのか。自分から覚えようとするまで無理なんじゃないのか。ましてや人格改造しようとするなんてマッドサイエンティストだ。私はモルモットにされたのだ。常識を誰か信じているのか。純真な私のような人間ほどそのうそ臭さに耐えられないから逃げているだけなのに、頭がおかしいと決め付けて排除する。いじめる。果ては人格改造する。体育会系は手っ取り早い人格改造だ。常識を植え付けるためにこんな便利な方法はない。だから私は嫌がるのだ。しかし道徳と戦う必要はない。信じる必要もない。人間は自由だ。道徳を無理やり植え付ける必要はない。誰も信じていないものを信じた振りをする必要はない。というより信じた振りをすることは簡単だ。本当に信じる必要ははないのだ。信じた振りして従っているだけなのだ。誰も皆本当に信じているやつは一人もいない。信じた振りができるかどうかで決まるのだ。挨拶、遅刻をしない。それで何が変わるというのだ。信じた振りができるかどうかだけだ。そんなことは簡単なのだ。常識や約束事はもともと作ったものだからリアルじゃないのは当たり前じゃないか。嘘に決まっている。嘘だからだ。嘘だけど従いましょうというのが法であり、道徳なのだ。時には命を奪っても守ろうとする、恐ろしいものだ。どうしてわざわざ損するようなことをするのか。信じた振りさえするならば人格改造する必要などないのだ。どんだけナイーブなんだ。男が女を好きになる。それも嘘だ。約束事だ。あるのは獣性だけだ。ホリエモンが常識を守ったからといって信じているわけではない。ITなんか何も信じちゃいないのだ。信じてなくて従うもの、それが道徳だ。大阪人なんか赤信号渡るし、違法駐車や引ったくりばっかりやっている。誰も道徳や法律を信じちゃいない。商売と損得のルールにだけ従っているのだ。お上の道徳なんか何とも思っちゃいない。 私は多少精神的に弱いかもしれない。多分遺伝だろう。でも生きていくことはできる。まともな部分もかなりある。普通よりすぐれて部分が多い。どうすれば良いか。常識をどんどん受け入れることだ。常識を受け入れた振りをすることだ。本当に受け入れる必要はない。本当に受け入れて良いのは宗教だけだ。それ以外の世俗的法律は単に受け入れた振りをするだけで良い。信じた振りをすれば良いだけで本当に信じるやつなんか一人もいないのに私くらいだ。本当に信じようとするのは。本当に信じようとするから無理なんだ。誰だって嫌だろう。あんなキチガイを教師として尊敬したり上司として尊敬することは誰も要求してはいない。振りをするだけでいい。HやKのようなすれた図々しいやつは全く信じてなどいない。腹黒いやつだ。iに至っては面従腹背の見本だ。誰も信じられないものを自分にだけ強いるなよ。自分の嫌がることをしてはいけない。 礼儀や常識や道徳を信じる必要などない。そんなキチガイは一人もいない。ただ従う必要はある。不利益を受けるからに他ならない。プラスのストロークを受けたければ常識を守ることだ。信じる必要などないのだから簡単なことだ。
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