希望の日記

2005年06月24日(金) 疲れた

 とても疲れた。沖縄行きのことでウェブを調べていたらとても疲れた。職場ではキチガイがいるだけで脳に傷がどんどんついていく。沖縄は本島はパスまたは一泊くらいにして離島メインで行こう。ばうというのは本当にいい奴だ。お節介を職業にしたくらいだからなあ。
 昨日は疲れていて文校も楽しくなかった。私がこんな人間だということにみんなも慣れたみたいだ。慣れてもらわないと私も居場所がない。多少雰囲気が悪くなっても我慢してもらおう。私は女が苦手だ。恐くはない。好きでも嫌いでもない。しかし実際には口をきく前から関係が悪くなる。私の姉がひどかった。なんの理由もなく攻撃する。学校でも理由なくいじめられた。でも今は恐くない。女はバカで弱い。恐がる必要はない。恐がると自分が強いと思って図に乗る。私は悪いことはしてない。礼儀と道徳とルールと常識を完全に受け入れることによって私は全く恐くなくなった。けんかにもルールはある。ルールさえ守れば喧嘩してもいいのだ。私は今負ける気がしない。誰が襲いかかってきても負ける気がしない。けんか上等だ。いつでも喧嘩できると思えば何も恐くない。けんかする必要すらない。けんかにもルールがある。ルールを守れば喧嘩してもいい。手さえ出さなければ何やってもいい。手を出してもクビにはならないと聞いた。本気にしないほうがいいが。いつでも喧嘩できるし、負ける気がしない。絶対に誰とやっても負ける気がしない。俺はけんかをするために生まれてきたような男だ。けんかなんか苦にならない。絶対負ける気がしない。でもいつでもできるからやろうという気がしない。頭に来た。俺をバカにする全ての人間よ。俺は絶対にこれ以上譲歩しない。いいかげんにしろ。喧嘩してもかっとなったりしない。けんかするときほど冷静でなければならない。
 私は平和が好きだ。平和を守りたい。だが争いを恐れてばかりいては平和は守れない。争いを恐れる余り邪悪なものの言いなりになってはいけない。ブッダ的平和は好きだが、現実には難しい。結局平和を守るためには常識や道徳やルールが必要だ。常識やルールさえ守れば喧嘩しても良いのだ。けんか上等だ。皆がそう思っている。あのキチガイはけんかを求めて常に狂いまくっている。血に飢えている。ルールさえ守れば喧嘩してもいい。しかも負ける気がしない。絶対に負ける気がしない。私は人と仲良くしたいだけだ。でも喧嘩を売ってくるならいくらでも買ってやる。俺は臆病者なんかじゃない。絶対誰とやっても負ける気がしない。絶対に。
 常識を受け入れると仕事がぐんと増える。守るべきルールは無限にあるからだ。九重に行ったのは間違いではなかった。良い人たちに会えたからだ。ばうさん、南天、抹茶さん、皆良い人ばかりじゃないか。やっと気付いた。如何に甘えさせてもらっていたか。九重に行って良かったと思えたときが九重の完結だ。重いリバウンドに耐えた自分もすごい。礼儀と常識さえ守ればどこまでも親切にしてくれる。プロのプライドがある。私は自分の獣性を目覚めさせてしまった。爬虫類脳を。今やっとそれをコントロールできるようになった。簡単だ。自分を変えることは不可能だし、不要だ。行動を変えるだけで良いのに。簡単なことだ。差別や意地悪はいけない。得策ではない。好きになる必要はないがわざわざ嫌いになることはない。
 俺は今日はしんどい悪い日だと思っていたが良い日だった。悪い人はいない。こんな私でも生かしておいてくれるこの世に感謝。大阪の街が初めて愛しいと思った。川を天満の祭り船がゆっくり通った。大人と子供が踊っていた。今日も大阪は大阪だった。こんな街だけど初めて愛しいと思った。愛のマジック。常識と礼儀。俺がどんなに疲れていても酔っていても忘れないもの。そして人の真心。人への愛と敬意。日本人ていいなあ。悪いひとはいないというのは本当だな。今日は人への愛を思い出した。ばうや仲間のおかげだ。助かった。とても気分が良くなった。人を愛するということは良いことだ。人に親切にするというのは良いことだ。常識と礼儀さえ守れば今からでもどこまでも世界は開かれていく。私は良い奴だからだ。よく気がつく良い奴だからだ。文校に入って本当に良かった。ちょっと苦しいこともあるがそれを上回る良いことがある。鍛えられる。ばうさんの良さに気付いたのも文校のおかげだ。ここ2,3日でずいぶん成長した。人が違って見える。人のいうことが耳に入ってくる。世界が変わる。心のエアポケットに落ちなくなった。世界がつじつまが完全に合って、焦点が合って目の前で展開し始めた。e女史やo女史とも仲良くしよう。意地悪するのが身についている。自分に帰ってくるから止めたほうが良い。私は性質が悪すぎる。この世で一番悪いかもしれない。


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