希望の日記

2005年07月18日(月) 夏季合宿

 疲れた。死にそうに疲れた。心身ともに疲れきった。何しに行ったのかわからない。傷ついたし、自信を失った。でもこれも現実だ。女の良さがわかった。好きになった。頼りたい気がする。本当に強い。女は。n女史、w女史、y女史、k女史、本当に強い。鍛えられているのだ。女同士で。一昨日から調子が悪い。金剛山に登ったが最悪な気分だった。h君は酒盛りで暴れて問題を起こしてしまった。同じクラスとして責任を感じる。彼は私とそっくりだ。俺は今相当にヤバい。頑張りすぎた。疲れた。私の小説は好評だった。でも調子が悪いのでそれを受け止められなかった。人は自分の鏡だ。本当に自分の姿がありありと見えて恐くなる。いきなり頑張りすぎはだめだ。徐々に慣らしていきましょう。今日の朝は大変調子が悪く、周囲にも変に思われた。u君にまで嫌われた。また挽回していこう。h君も大変だ。失った信用を取り戻さねば。一緒に頑張っていこう。作家は社会的行動が苦手なので大目に見てやろう。
 hチューターという坊さんが朝から読経と説法を梅○さん達相手にやっていたが、やっぱり宗教はだめなのかなあと思った。頼る相手を間違えているかもしれない。かなり気分が悪くなった。調子が悪いから気分が悪いのか、本当にそうなのか良くわからなくなった。加○さんが嫌いだと思ったのは宗教家特有の権力者臭が嫌だったのか。だとしたら相当根深い。e女史が宗教嫌いなのと同じか。e女史に私を宗教から救い出してもらわないといけないかもしれない。n女史でも良いのだが。女のいるほうへ私を連れ出してくれ。心理学はどちらかというと宗教臭い。y氏も認めていた。癒すとか救うとか宗教の機能を代替しようとしている。人は囚われの身だ。だから自由を求める。ここまでは自由という範囲を知ろうとする。心理学は権力的だが同意の上だから仕様がない。ゲシュタルトなんて全く権力的だ。そういうものに身を委ねて良いのか。e女史だったら何と言うだろう。e女史やn女史に頼りたい気がしてならない。男性的に見えてどこまでも女性的で自分らしい。私は男だから男性原理に救いを求めてもおかしくはない。でも女性的な私が女性原理に救いを求めてもおかしくはない。川端康成なんかそうだ。三島由紀夫はどうだろう。込み入り過ぎてわからない。
 女性原理に救いを求めるのは良い考えかもしれない。男らしくなくても良い。女性的な男が好きだ。小林薫は子供の頃父親に虐待を受けた。厳しいしつけは虐待だ。男性原理を憎むようになった。女性原理を愛すればこんなことにはならなかった。男は男らしくなくてはいけないのか。女性的な男がいても良いじゃないか。戦争がなくなる。貧困もなくなる。h僧侶がすごく嫌いだった。権力的な物言い。よくわからない。嫌いな人もいるだろう。文学と学校が相容れない理由を見た気がした。厳しいねえ。仕事をしている以上男性原理から逃げられないだろうか。ばうさんならそんなことはないといいそうな気がする。いくらでも逃げて良いんだと。
今回の合宿の成果は女の良さがわかったことだ。性だけではない。女の良さは性だけではない。仲良くなれそうな気がした。いや、確信した。私は女そのものだからだ。話が合わないわけがない。男への恐怖、権力や暴力への嫌悪、ほとんどのものを私は女と共有している。非常に確かな手応えを感じた。ただk女史には何の敵意もないのに手ひどく嫌われてしまった。距離感がつかめない。でも大多数の女と簡単にうまくやれそうな気がした。ごく自然に。女への嫌悪感や恐怖心が嘘のように消えた。
男が権力を通じて世界を理解し受容するように女は性と愛を通じて世界を受容する。なぜそれができない。男はそうすることを禁じられているとでも思っているのか。そうではない。女への受容と共感。これが大事だ。小泉はおばさんファンを大事にするので総理になった。今はそういう時代だ。目ざとい奴はそうしている。女はいうことを聞かせるのに力は要らない時代だ。魅了してしまうのだ。これは女にとっても苦痛ではない。セックスも出産も子育ても女の本来的力の自発的発揮だ。女とベクトルが合うとこんなにも楽かと思った。対立すると大変厄介だ。
 デパスを飲んだらかなり楽になった。女を受容し、共感できなかったら付き合ったり結婚できない。それは証明済みだ。
 本当にn女史は良いなと思った。偉大だと思った。年は関係ない。文校を始めて良かったのは女の優しさや良さに気付いたことだ。女の良さがわからなかったら大変生きづらいことになるだろう。それがすんなり解決できた気がした。
 暴力で無理やり人にいうことを聞かせてもそれがなんだろう。男の偉さはそんなところにはない。そんなことは初めからわかっている。心が落ち着かない。眠ることさえできない。
 女の偉さがようやくわかってきた。優しさ、賢さ。女性に救いを求めるのは一向に構わないと思い始めた。恥ずかしくも何ともない。当たり前のことだ。その代わり女のできないことはやってやれば良いのだ。
 難しく、好きでもないことをやるとろくなことはない。自分が強くなったと勘違いする。今回のことは勉強になった。もって他山の石としよう。というか自分自身の問題に他ならないと思っている。女を好きになろう。女に頼ろう。自分も頼ってもらって良いのだ。かなり人と付き合うことに困難を覚えた。弱っていた。でも女の助けがあれば何とかなると思った。私は自分に無茶なことを要求しすぎる。
 自助グループに行って来た。大変薄気味悪かったが、我慢しているうちに少し気が収まった。人の話を聴くのは良いことだ。攻撃的だなと思った。統合失調症の症状だ。病気や依存症、摂食障害、ノイローゼの皆さんばかりで大変薄気味悪かった。でも自分も相当薄気味悪いと思った。お互い様だ。でも真面目な気持ちになれた。ここで治すんだという気持ちに少しなった。不真面目な私が厳粛な気持ちになった。いつもこうして真面目であるべきだ。一人で暮らすうちに気配りとか道徳とか全然だめになった。でももう一度やらなきゃいけないことだ。不真面目な気持ちではだめだ。治そうという強い気持ちが必要だ。
攻撃的なのは統合失調症が再発してからだ。h君が暴れたのは私の精神状態がうつったからじゃないかと思う。暴力的な気分というものは伝染しやすい。あの事件の後合宿は混乱して皆興奮していた。あれは良くない。h君は未熟だ。私より未熟だ。私の両親のもとで育ったものは何かおかしいのか。そうかもしれない。私は死にかけた。
 人を傷つけて喜ぶ奴は最低だ。そうなってはいけない。真面目になろう。あのアルコールのおねえちゃんは私と相性が悪そうだ。でも女は大体わかった。恐がる必要はないし、頼れば良いんじゃないかな。父親は母親に頼っていたのだ。それほど珍しいことではない。父親不在の家庭は多い。今この一瞬が何より大事だ。女は偉いし、強いし、信頼できるという感覚を得られたのが今回の合宿の収穫だ。人と衝突してばかりでは仕事もできない。人と張り合い、人に勝とうとする卑しい根性。やめた方が良い。
 文校も諸刃の剣だ。統合失調症のきっかけは文校かもしれない。機嫌が悪いこともあるだろう。しかたがないことだ。それも何とかやり過ごすことができるようになりたい。女性と同じ考えをして、女に頼っていきたいと思う。母親に暴力をふるっていたとき母親に甘え依存していたのだ。女に対して信頼感ができたと思う。女性原理に従って生きて構わないと思う。でも女ではない。当たり前のことだ。世界中であの女だけがおかしいのだ。秘密をばらしたりしたのも何となく甘えというか仲間と認めた証だ。彼女らがとても好きだと思った。不思議な心だ。文校は辛いこともあったが、これを突破することができれば何かが見えてくる。今変わっていけるのだ。今しか変わることはできないのだ。
 女性原理に依存しよう。それが一番自然だ。n女史に依存しよう。h君は頼りないと言うことがわかった。
 俺ってしつこいと思う。執念深いし。でもあのババアほどではない。どんだけしつこいんだ。一瞬一瞬が大切だ。


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