脳が勝手に暴走している。稼げる以上のもを買おうとし、自分より強いものに戦いを挑み、味わえる以上の快楽を味わおうとしている。危険だ。スローダウンしよう。意識してできる。写経でもやるか。呼吸法でも良い。呼吸すらままならなくなっていることに気付いた。旅は危険に満ちていた。心身ともに病み衰えていたのに楽園に行った。危険のいくつかは実現し、私は傷ついた。生きて帰って来れただけでラッキーだ。傘一本なくしただけで。最後オニババに襲われて傷ついた。オニババは私の問題ある精神状態を見抜いていた。自分も問題あるからだ。会社のオニババも自分が問題あるから、問題ある奴に襲いかかってくるのだ。警察の問題だ。杉田かおるみたいなもので逃げようがない。 一切忘れてゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。素直に考え素直に生きよう。意識してスローダウンしよう。 ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。脳が暴走している。誰に対しても腹が立つ。面憎い。でも差別されたり、苛められたりしたらだれでもそうなるんじゃないのか。でも今は違うから落ち着いてゆっくり考えよう。ゆっくり生きよう。素直に生きよう。 サドの小説は脳の暴走が描かれている。危険だ。その影響を受けたらしい。そんなことは忘れるべきだ。あるいは高橋源一郎みたいに自分も書き始めるかだ。脳の暴走は嫌だ。人を愛せなくなる。脳の暴走は意識的に止められる。論理療法を使っても良い。 人を好きになれない。人が恐い。何をするかわからない。でも小説を通じて人を知り、人を愛することが可能かも知れない。 ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。素直に生きよう。必要な少量のものだけを手に入れて質素に生きていこう。都会人と相容れないのはそこだ。 旅行に行って良かった。人の恐さも良くわかった。旅の恐さも。楽しさもわかった。自分がどう見られるかわかった。 車谷の小説はとことん暗い。貧乏とか下積みの辛さを描いて仮借ない。でも作家の神経は繊細で優しい。その優しさに触れるのは良いことだ。 脳が暴走しがちなのでゆっくり生きたい。ゆっくり考えたい。リスパダールが早く飲みたい。 自分の頭がコントロールできない。暴走する。y氏にまで腹が立って攻撃しそうになったこともある。店員とももめそうになる。タクシーの運ちゃんと昔はよく話をしたのだが今は全くできない。人が恐い。自分が嫌われていると感じる。良い人を演じる自信がない。自分も人も好きではない。 しみじみのんびりほっとできることが欲しい。温泉が良かったのでは。快楽を目の前にすると人は殺気立つ。金壷眼になる。それが恐い。自分も煽られてそういう風になる。危ないと思う。全ての良い仕事は優しさに支えられている。ものづくりでもサービス業でもそうだ。小説なんか最もそうだ。優しくなくては書けない。書いても人を感動させられない。人を好きにならなければ書けない。かなりやばい状況にある。 人間らしさを失っている。かなり前からそうじゃないか。人に興味を持てない。人と競争したり、駆け引きしたり、仲良くするのは難しく感じる。私が焦る必要はない。私は十分強いんじゃないのか。ゆっくり考えたら良いと思う。恐がったりおどおどしたりする必要はない。人生に勝者も敗者もない。勝手にそう思いこんでいるだけだ。だからおどおどする必要はない。どんと構えていれば良い。私はもう全てを知ってしまった。誰よりも強い。だから喧嘩する必要はない。あのババアだって全然恐くない。私のほうが強いからだ。 少し気持ちが楽になった。疲れが取れたのか。思い出すと沖縄ではひどい目に遭った。行く前から電器屋の店員にまで馬鹿にされていた。理由がわからない。人が好きになれない。それが反感を買うのか。でも誰だってそうだろう。自分の家族や恋人や友達だけが大事でそのほかの他人は好きではないだろう。 少し気分が回復した。深呼吸ができるようになった。沖縄では呼吸ができないのに気付いて、驚いた。竹富島でははじめて潮の匂いを感じ、深呼吸を何度もした。ヒクソンが山の中で深呼吸を何度もしている気持ちがわかった。体が蘇る気がした。帰りの飛行機で受けたひどい行為が私を打ちのめしたのだ。本当に女は恐い。看護婦を思い出した。死ねと思う。近づくな。私のほうが強いのだ。 絶対優しくされなければ行けないものにひどい仕打ちを受けるとptsdになる。教師とか親兄弟とか、医者とか看護婦とか、女とか、店員とか。私の脳が暴走しているので、それが相手に伝わって下賎なもの達が私に牙をむく。恐ろしいことだ。私はあの職場でキチガイババアに理由もなく何年もいびられつづけた。そして私の人格は崩壊した。そして母親まで離れていった。私の心は壊れた。リスパダールの世話になることになった。 ゆっくり考えよう。それは意識的にできる。考えられる以上のことを考える。それが脳の暴走だ。近づくものを傷つける。掲示板のあの女。昼寝するなんておかしい。脳が暴走して自分で止められないのだ。かわいそうな奴。私はコントロールできる。ゆっくり考えられる。ゆっくり生きる。素直に生きる。もう考えられることは考え尽くした。私は敗北者なんかじゃない。勝利者だ。自信を持つのだ。おどおどする必要なんかないのだ。 ゆっくり考えよう。人にも自分にも優しくしよう。私は十分強いので優しくすることを考えるべきだ。優しさや人間らしさを失って怪物になっているのだ。もう一度人間らしい心を取り戻して人を愛そう。沖縄に行っても人を愛する心を失っているので感動しない。感謝もされない。金を払っているのに犯罪者扱い、差別、排除。どういうことだ。九重に行ったのは間違いかどうかわからないがあれから私は十分強くなった。だから必要なのは強くなることではなくて優しくなることだ。考えるのをやめよう。あるいはゆっくり考えよう。そうすれば眠れるようになるし、食べられるようになる。深呼吸ができるようになる。素直に生きられるようになる。 誰との間にも確執なんか存在しない。ババアであれ若い女であれ、何もトラブルなどない。あるはずがない。幽霊が存在しないくらい、存在しない。こちらが認めない限り、そんなものは存在しない。確執の存在を認めることはヤクザの言いがかりを認めることだ。そんなものはありもしないのに無理やり認めさせられる。 脳が暴走し始めた。論理療法で何とかならないだろうか。意識の力では限界がある。薬しかないのか。でも薬では原因は取り除けない。脳の物質のバランスが崩れている。見た瞬間に腹が立っている。危険なことだ。無理をしてはいけない。 ゆっくり考えよう。もしくは考えない。何も意味あることは考えられないからだ。ゆっくり生きよう。しみじみのんびりほっとすることを捜そう。女なんかつまらない。恋してセックスして結婚して子供を生んで育てて、夫の世話をして年老いていく。何が恐いんだ。つまらない奴らじゃないか。 都会で享楽的な生き方をしている若者は大勢いる。私も少しはまねをしたい。辛いだけが人生じゃない。今寝ていたら少し気分が楽になった。眠れないから脳が興奮してくる。精神的に少しおかしい。年明けからおかしかった。キチガイのせいでキチガイになってしまった。 ゆっくり考えよう。脳が暴走する。ゆっくり生きよう。私はからまれているだけだ。hやkはただ単にからんでいるだけだ。いくら何でもそれはごめんだ。jalのスッチーも私は何もしていないのになんか弱そうだから苛めてやろうみたいなものだ。こんなことが許されて良いのか。 ゆっくり考えよう。パニックに陥ったとき、恐怖に駆られたときみたいに慌てて考えるんじゃなくてゆっくり考えよう。脳が暴走する。ゆっくり考えよう。ゆっくり生きよう。 私は十分強くなった。これからは落ち着くことだ。落ち着いてゆっくり生きよう。慌てふためいたりパニックに陥ることはない。悠然と構えて生きていけば良いじゃないか。何かする奴がいたら注意すればいいだけの話だ。 悪いことなんかできはしない。からんでくる奴がいれば無視するだけだ。何で相手にしてやる必要がある。ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。
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