希望の日記

2005年08月26日(金) 今日

 今日のカウンセリングは面白かった。盛りあがった。あの人は奇特な人だ。こんな私のために一所懸命説明してくれる。今日はホワイトボードまで使っていた。Dマンだなと思った。愛社精神あふれる。これだからわが社は繁栄するのだ。自分を愛してもらうというのは良いことだ。おじさんだって愛されないといけない。会長だって皆に愛されている。嫌われたって良いことなんかない。それなのに嫌われることばかりする。だめな私。でも昨日の合評会で誉められたのですごく自信がついた。特に先生に誉められたのがうれしかった。これは間違いないと思われたからだ。少しは才能があるとわかった。拒否している人もいたが。
 愛されると愛情を裏切るまいとする。自信がついて気持ちが安定する。悪いことを考えなくなる。良いことをしようと思う。好循環だ。ゆっくり考えよう。あのくそババアも憐れな存在だ。ただ仕事をするだけだ。安月給で。ゆっくり考えたらあんなやつが私の敵であるはずがないとすぐわかるはずだ。
 昨日は人生で一番幸福だった。自信がついた。人間らしく振舞おうと思った。そうする自信がついた。文学芸術には明らかに効用がある。
 今日のカウンセリングの結論は「オカマだからって何が悪い」というものだ。私は女性的だからおばはんは私を攻撃する。しかし攻撃される理由なんかない。オカマであるからといって攻撃されることを受け入れているから、それが脳を傷つけるんだそうだ。だからそういう攻撃には根拠がないと撥ね付けることが大事なんだそうだ。中学の時の気違い教師もこちらが嫌いだったから、向こうもこちらを攻撃してきたといえる。嫌いだから女性的だからといって攻撃されるいわれはないと毅然として撥ね付けるか反撃するべきであったということでy氏と意見が一致した。今日は不思議なくらい意見が一致したし、二人でとても良い大事な発見を力を合わせてすることができた。それは今まででもこれでもかというくらい自己開示し、必死で説明し、ほとんど説明し尽くしているのだ。ただお互いに警戒感、不信感があったのがすっと消えてお互い好きになり、信頼できた。互いに傷つけ合わないと確信できた。これも小説で自信がついたことが大きかった。自信があれば人を傷つけようとか盗もうとか悪いことをしようとは思わないのだ。初めてy氏と理解し合い、心を許しあった。


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