希望の日記

2005年09月05日(月) キチガイ

 ほんとにhは気持ちが悪い。世界一薄気味悪い。あんなワニみたいなやつと何で仲良くしなきゃならないんだ。kよりひどいかもしれない。女とはどうしても仲良くできない。今までされたことから考えてどうしても近づく気にはなれない。絶対に一生。あのバカは完全に頭おかしい。キチガイで犯罪者で人非人。世界一気持ち悪い。絶対に嫌だ。殺意さえ覚える。
 ところで私はおかしい。ずいぶん前からおかしい。いつからとはいい難い。元々遺伝的におかしいかもしれないし、何が原因かわからない。そんなことはわかりそうにもない。いろんな心理療法がいろんなことをいうがどれも確信が持てない。正解はないかも。あすみと言う人がemdrとかいろいろやって原因を探ろうとしているが逆に苦しんでいるかもしれない。おかしいということさえわかっていれば良いんじゃないのか。直す方法はない。最近egに行ってからますますおかしい。おかしさは別次元に進んだ。また新たな苦しみを抱え込んでしまった。文校に行っていることは関係ないかな。でも今休みだから楽だ。誰でも少しはおかしい。でもhは完全におかしい。おかしくて気持ち悪い。我慢ならない。許すわけにはいかない。完全におかしい。kも完全におかしいがあいつは完全にいっちゃっている。egは薬物で自分を変える行為に等しい。あれは法律で取り締まるべきだ。学問の名の下にあんな野蛮で非科学的な犯罪行為が野放しにされているなんて。私はおかしいと言う自覚が芽生えたことは進歩だ。小学生の頃からおかしい。でも真面目だったからここまでもったとも言えるし、真面目だからひどくなったとも言える。自分の感じ方、考え方がひどく歪んでいる、偏っていることは明らかだ。私自身がおかしいわけではない。しかし周りはそうは思わないだろう。hに対する殺意はあるがそれも病気のせいとも言える。だから安心していられる。殺意は本物だが、幻であるとも言える。
 自分がおかしいと思えることはいろんな意味で進歩だ。自分が許せる。おかしいのは前からで私のせいではないし、おかしいと思えばひとから何で攻撃されるのかわかる。もちろん攻撃を正当化しているのではないし、逃げる口実が得られるということだ。私は苦しみすぎておかしくなっている。楽になろう。おかしいのに立派であろうと思わないことだ。仲間はずれされているのに仲良くなろうとしたり、人にストレスを感じているのに人に近づこうとしたり。
 自分がおかしいと認めることはすごく楽だ。苛められなくてすむ。自分はおかしいから人に近づかない。従って苛められない。私がおかしくなったのは小六の頃だ。多分。おかしいと思えば楽になる。自分を正当化しようとして苦しまなくて良いし、戦わなくて良いし、考えなくていい。おかしくても自己防衛はできる。おかしいと苛めてもいいと思われるが決してそうではないということだ。楽になろう。考えることなど何もない。楽になろう。
 おかしいと認めることは逆に強くなることだ。おかしい人間を苛めることは道義的に許されない。従って思う存分怒ることができる。おかしいと認めることは楽になることだ。我慢しなくていいことだ。おかしいのに女と付き合わなくて良いし、働かなくて良いし、子供を育てなくていい。一人だからおかしくなるわけではなくおかしいから一人でいることが楽なのだ。だから私のやってきたことはいいことなのだ。
 おかしいのは性的にもおかしかった。変態性欲に惹かれた。政治的にも極端が好きだった。あれもストレスと脳内物質のなせるわざか。何でも受け入れれば良いのではない。あんなキチガイや犯罪者や人非人のことを受け入れる必要などない。おかしいのはそういうやつをうけいれるからおかしいと言うのだ。変態性欲とかどうして受け入れるのか自分は汚れがないと思うのか。おかしいとは自分を守れなくなっていることがおかしいのだ。あんなキチガイ、犯罪者、人非人。絶対に受け入れてはならない。
 自分はおかしいと認めることは楽だ。そしておかしなやつを受け入れないことだ。yとかkとか完全におかしいやつはいくらでもいるのだ。何で他人を正当化するのだ。自分を正当化しろ。自分はおかしいと認めたうえでおかしいやつは受け入れない。これが大事だ。


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