疲れがたまっている。なぜ疲れるかすごくよくわかった。文校に通ってる成果かな。権力者とうまくいかない。前は権力者のいうことを良くきく良い子だったのにいうことをきかなくなってしまったからだ。権力のいいなりになるのは嫌だ。そうすると権力者から嫌われる。攻撃を受ける。遅刻することは権力への挑戦と受け取られたのだ。t氏も権力的なところがある。文校は学校であって権力が働く。そうするとo女史とかk師というような輩が動き出す。私だってそうだ。権力を欲しているのだ。oやkが大嫌いというのはそういうことだ。権力を疎ましく思うのだ。人間とは非人間的な部分をもつものだ。私はもともと権力に従順なおとなしく真面目な良い子だった。優等生タイプとは権力に従順ということだ。t氏が嫌いなのは作家なのに権力的だからだ。私も法学部行ったりして権力的だ。そこが衝突する。でももう私は疲れた。権力からも疎まれ、会社からも疎まれ、女からも疎まれ、(女はもうひとつの権力装置だ)病み衰えている。kやhは人間ではない。狂人であって犯罪者だ。なぜか。私を攻撃するからだ。何もしていない私を攻撃するからだ。権力大嫌いなのに権力の意を体して動くなんてできない。一人でいるときだけ争いは止み、心安らぐ。一人で楽しく過ごす方法を見つけた。でも権力者は弱い。不安定な立場にいるからだ。すぐ追い落とされる。うつになるべくしてなった。y氏も権力との関係で病んでいるようなものだ。従順な部分と反抗する部分と。yなんか完全に人非人だ。人をしつこく苛める。仲良くなんかなれるわけない。あの兄や姉も理由もなく私を攻撃してきた。理由もなく私を攻撃する奴は人非人とみなす。kとhとyとtは人非人だ。私は女とうまくいかない。理由はわからない。見ているだけでいやになる。向こうも理由もなく攻撃してくる。あんなkなんかと仲良くする方法などない。絶対にない。向こうが攻撃を止める以外にないだろう。反撃しようと思った。恨みが鬱積している。反撃ではなく復讐しようと思った。女は自分が弱者だと思ってひどいことをする。私もやらせてもらおう。ひどいことを。ひどい奴らなんだ。狂人、犯罪者、人非人。そういう奴は確実にいる。仲良くなんかできない。嫌いだからといって私を攻撃してくる奴は全てそうだ。復讐する。人間じゃない。許さない。絶対に許さない。 もうひとつは我慢が大事だ。ババアとか殺したくなっても我慢しなければならない。日本人は我慢強い。言いたいことがあっても我慢している。生きるということは我慢するということであってこれがやむ時は死ぬときまでない。 昨日は家に帰らなければならないと気づいたとき急にいらいらしてきた。それまで楽で楽しい気持ちだったのに。それで飲み会でもその気持ちが態度に出たような気がする。ババアが嫌いとかブスやデブやおしが嫌いという残忍な気持ちになってしまった。でも私はコントロールできる。自分がなぜ機嫌が悪いかわかるし、そうである必要はないし、止める方法もわかっている。それにしても熊野大学に行った時に嫌な気持ちになったことを思い出す。それを何年も続けようとする。無理があるような気がする。でも居場所が欲しいのだ。私はどうしても。 人と一緒にいるとストレスに感じる。悲しいが事実だ。でも少しずつなれて一緒にいられるよう練習している。大変な試練だ。何で理由もなく嫌いというだけで攻撃してくる人間と仲良くできるんだ。できないし、する理由もない。人非人、キチガイ、犯罪者。この三つとは仲良くできないし、する必要もないし、してはいけない。あんなものと仲良くすることは親不孝だ。私はすごく良い人間なのに良い人間の存在が信じられないか、許せないらしく、攻撃してくる。でもyさんの作品は攻撃したくなるのは良い人ばかりで納得いかないからだ。 うつやイライラから解放される方法がほぼわかった。自分を楽しませることはいつでもできる。緊張からリラックスする方法もいくらでもある。私は生き抜かねばならない。攻撃を排除せねばならない。我慢して病気になりたくない。私を攻撃する奴は誰であっても許すわけにはいかない。何で私はこんな迫害されなきゃいけないのかあの途方もないバカどもに。殺すぞ。正真正銘の殺意を覚える。何の理由もなく私を攻撃する奴。何らの落ち度もない私を。絶対に許すわけにはいかない。人非人、狂人、犯罪者。これらのものを許してはいけない。女に近づいてはならない。絶対にうまくいかない。嫌いなんだから。お互いに。それを隠してもどうしても出てくる。今までうまくいったことあったか。母親や姉を含めて。姉は私に殺意さえ抱いていた。そして私も。絶対にうまくいかない。お互い殺意を抱きながら愛し合える関係はSMくらいしかない。だから近づくべきではない。絶対に。緊張から解放されたい。理由のないいじめ。悪意、殺意から解放されたい。キチガイ、犯罪者、人非人から解放されたい。それは可能だ。今すぐ可能だ。人非人は人非人ということだ。そういう態度を取ることだ。それが男らしさではないか。 女とは相容れない。絶対に普通には話せない。普通を装っていてもじきばれてしまう。ババアの中にはそれでも寄ってくるセクハラババアや苛めキチガイババアがいる。俺が女嫌いで何が悪い。誰に迷惑かけたんだ。そんな罪科のない私を調子に乗っていじめるやつは絶対に許さない。 忘れていいから。あんなキチガイ、犯罪者、人非人。人間じゃないから。楽しく生きよう。楽しくなる方法はいっぱい知っていていつでも楽になれる。楽しくなれる。忘れることだ。堂々と忘れていいから。仲良くなんかしなくていいから。 北海道行きも少し息切れしてきた。はしゃぎすぎた。うつなのに頑張ってはいけない。自分が恐い。自分が恐いから一人でいることができない。誰も皆そうだ。自分と向き合っていると誰でもおかしくなる。昨日は大嫌いなババアでもきれたりせずに仲良くお話できた。 楽しいことをやろう。楽しいことだけやろう。小説に打ち込もう。 楽しいことといっても鬼畜みたいに金で享楽を買ったり、蕩尽的な遊びに耽ると言うのでは決してない。ささやかで穏やかで上品な遊び。いくらでもある。自己評価を上げよう。自分は十分価値があると認めよう。あんな鬼畜のような脳足りんと比べて劣っているわけはない。創作に打ちこんでみよう。そうすれば次第に心が開かれ、頭が動き出す。 今外出してきたが十分自分をコントロールできるし、人は十分愛するに値する。少し人を愛することができるようになった。被害妄想になっている。自分が苛められているとか虐待されているとか。自分の被害妄想やいらいらが全く根拠のないものであり、完全にコントロールできるので全く不安を感じない。ババアやブスやおしやデブこそ愛するに値する。憐憫を誘うのだ。大阪に美男美女はいない。すぐれた人間もいない。自分を愛するようになろう。いつでも簡単に自分を愛することができるようになろう。 俺をいじめてきたやつらはまったく人間じゃない。全く顧慮するに値しない。人をひどい目に遭わせておいて人間面するなんて虫酸が走る。絶対に許せない。 確かに私は変になっている。石垣に行った時ものすごく不審な目で見られたり馬鹿にされたりした理由が思い当たる。精神状態がすごく変だ。それがはっきりわかるようになっただけでも大きな進歩だ。犯罪者か精神異常者のような落ち着かない不安な気持ちになる。リスパはそこにすごく効く。ただ頼りすぎると全く不活発になってしまうので、少し減らして自分の意志でコントロールするようにしている。その方が仕事にも役立つ。挙動不審になり目が宙を泳ぐ。最近難しいことは考えないようにしている。わかるはずのないことを考えようとしたり、自分探しとか言うのは自殺行為だと誰か言っていた。もっともだ。自分の考えることが事実に反することやつじつまが合わないことがわかる。それだけでも進歩だ。嫌なことは嫌だと言えるようになってきた。昨日も飲み会で不機嫌になってしまい、恥ずかしいことをした。結局自分に戻ってくるので良いことはない。しっかり自分を持って確かな人生を送ろう。犯罪者にも精神障害者にもなりたくない。精神障害は仕方がないが早くコントロールできるようになろう。犯罪か精神異常か区別がつきにくい。h君の行為は両方に該当している。原因は精神障害かもしれないがやったことは犯罪に見える。これだけは避けたい。やっかいなことだ。自分で自分がコントロールできないなんて。t氏はどうやってセルフコントロールしているのだろう。 今ずいぶんおかしな状態だ。おかしいことがこんなにクリアーにわかるということは良い兆候だ。自分がおかしいことに気づけばあと一歩だ。文校にはいったとき何で苛められたのか今ではわかる。というか今までいかにおかしかったか今ようやく気づきつつあるのだから良いのだ。自分がおかしいことがこれまでになくすごくクリアーにわかる。難しいことを考える必要はない。というより考えてはいけない。おかしいんだから考えたらよけいおかしくなるだろう。創作に夢中になって打ちこんだらきっと良いことがある予感がする。良い作品が書けて誉められたことは大きな自信になった。最近10年以上誉められたことはない。良いことがなかったら誰も誉めてくれない。良いことができたから誉められた。それが嬉しい。 ずいぶん調子が悪い。うつ気味だ。辛い。頑張れない。こういう時はおとなしくゆっくり休もう。無理は禁物だ。自分は今おかしい。おかしい時は無理しない。これが鉄則だ。かなりおかしい。ずいぶん前からおかしい。おかしいという自覚はしめたものだ。これから良くなる可能性大だ。旅に出ても大体犯罪者か異常者に見られる。誰が見ても挙動不審なんだ。昔イタリアに行った時既に変な目で見られていたからそのとき既におかしかったことは間違いない。大学のとき入院した。それ以前からおかしいから多分約30年くらいおかしいと思う。でもおかしいと気づいたのは今だ。このままじゃいけないと気づいたのは今だ。おかしくなるようなことばかりするからおかしくなる。おかしなやつとばかり付き合ったり、おかしなことばかりして。それはおかしなことするやつはおかしなやつだろう。自分はおかしいと認めることは何と楽なことだろう。何と希望に満ちていることだろう。世の中を呪詛することに比べて。人を憎むことに比べて。私はおかしい。ずいぶん前からおかしい。何て楽なんだろう。自分がおかしいと認めることは変われるチャンスだし、豊かなことだ。何か発見できるからだ。どんどん発見できる。今まで自分がおかしいと感じたことはあるだろうか。ただ受動的に苦しんでいただけだ。うつに不安にさいなまれ苦痛に耐えるように耐えていただけだ。でも今は違う。これからは違う。おかしい時でもおかしいとわかっていれば自分の感じたことがおかしいと幻だとわかる。だから暴走しないし、コントロールできる。自分の感じ方はおかしい。被害妄想だ。誰も私を傷つけようとしてはいないのにそう思いこむ。自分はおかしい。これは貴重な発見だ。自分の考え方、感じ方はおかしい。それを人に指摘されるとキレル。それは自分がおかしいと認めていない、気づいていない状態だ。魔境にあるのだ。歪んだ鏡をいくら見つめても何もない。ますます魔境に引き込まれるだけだ。いつも自分の感じ方がおかしいと意識すること。昨日何とか乗りきれたのは自分がおかしいと気づいているから人の言葉が耳に入り、軌道修正が可能だからだ。おかしいと気づいていなかったら人の注意も忠告も耳に入らないだろう。でも私は小学生のときから魔境に魅入られながら必死で勉強だけはしていい大学に入った。それがいっそう自分を苦しめることになろうとは夢にも思わなかった。今からいくらでも変わっていける。 私はおかしい。私の感じ方はおかしい。それは長い間にそうなったので簡単ではない。でも気づいたことは大事なことだ。自分がおかしいと気づかなければ薬も飲まない。暴走する。突然、発作が襲ってくる。うつだったり、不安だったり、怒りだったり、無差別な殺意だったり、狂暴な性欲だったり、反権力だったり、粗暴な暴力衝動だったり。絶対におかしい。私はおかしい。中学生のとき家庭内暴力に走った。私はおかしくないと思っているのに批判されたのが腹が立ったのだ。苛めにあった時も私はおかしくないのにという意識が怒りを引き起こした。それ自体は良かったが、後でおかしくなる元になった。今はおかしいと思う。長い間に私はすっかりおかしくなった。感じ方考え方までおかしくなった。こういう時は何も考えてはいけない。おかしい頭で何を考えてもどんどん泥沼にはまるだけだ。私が中高大学とやってきたことはまさにそれだ。自分がおかしいと認めることがどうしても嫌さに問題をこじらせてしまった。わたしがおかしいと認めることは確かに抵抗があるが、感じ方がおかしくなっていることははっきり認められる。脳内物質のバランスが崩れているかもしれない。だから罪悪感など感じる必要はない。ただ感じ方がおかしい、歪んでいることを素直に認めるだけですっかり楽になる。認めることは楽になることだ。薬を飲む勇気が出てくる。悪いのは自分のせいではない。脳内物質のせいだ。自分がおかしいのにお前らが指摘するなんておかしいというのはだめだ。自分がおかしいと認めることは決して恥ずかしいことではない。いくら頭が良くても知識があってもおかしくなっていたらそれは生かせない。何も偉くない。おかしくなくなって、良い目的に使えるようになって初めて偉いと言えるのだ。それを強引に間違った道を突き進み、絶対に自分は正しいと信じこむからどうしようもない暴走になってしまう。おかしいと認めることが楽になる一番の早道だ。 母親は偉大だった。私がおかしくなった出来事をはっきり覚えていた。でもこうなってしまったものは仕方がないではないか。それを許せるのも自分がおかしいと言う自覚が芽生えたからだ。だから行動や考え方を改めようという気になる。最初はちょっとした綻びだったのだ。でも自分がおかしいと認められなくて改めるチャンスを失っていたのだ。ダイエーと同じだ。気づけよと言う話だ。 私が自分がおかしいと認めることは敗北ではなく勝利だ。ものすごく楽になる。いくら賢ぶっても盗人が頭が良いのと同じで誉められはしない。おかしいと認めることは楽なことだ。自分を救うことだ。治る始まりだ。改善への第一歩だ。今まで自分がおかしいと思ったことはない。自分は天才で自分の考えることは絶対正しいと思いこんでいた。大変苦しい。もう既におかしくなっているのにおかしくないと言い張ることは大変辛い。自分がおかしいのに善悪二元論に逃げ込むのでy氏がおかしいと言ったんじゃないかな。おかしいと認めることは楽になること、救うこと、助かることの第一歩だ。
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