あの人の早朝覚醒がうつってしまった。最近明らかにうつだ。脳が疲れきっていて予約も困難だった。ゆっくり休もう。11日間も会わなくて良い、考えなくて良いなんて何て幸せなんだ。私に敵意剥き出しにして攻撃するやつと仲良くする方法なんかない。私が一貫して言い続けたことは私を眼の敵にするな、私を攻撃するなということだ。何でそんな簡単なことがわからないのだ。 私はずいぶん前からおかしい。生きることが困難になっている。仕事も人間関係も何一つやれてこなかった。それはおかしかったからだろう。道徳的に高いステージにどうしても上がれなかった。仕事でも私生活でも。それがegに行ってパワーをもらったが道徳レベルはそのままなので暴走して人と衝突してしまう。y氏の懸念通りだ。これを道徳レベルを高めることに利用できれば問題は解決できる。セネカも重責を負いながら道徳的に高めようと一生努力した。それは楽しみになっていたからだろう。人間は道徳的に高めようと思わなくなると途端に堕落する。もう私は落ちるところまで落ちた。あとは自然に上がるだけだ。自然ではないか。努力を要する。でもそれはセネカのように楽しい努力だ。苦行ではない。 あの人もずいぶんおかしな人だ。ちょっと会うのは恐い気がする。無責任で他人を傷つけることに鈍感だ。何をするかちょっとわからない。理系だし、道徳の意味が私とは全然違う。理系キチガイ系は永遠に相容れない。y氏と2年以上も話しているがいまだにわからない。氷炭相容れずか。 でも不調になってもうつになっても疲労と早朝覚醒くらいで、不安とかいらいらは全くないからだいぶ強くなったのだ。あとは道徳的に高まれば、万事うまくいく。 あのキチガイどもは私の人生に全く無関係だ。私を攻撃する奴と仲良くできるわけがない。私は私で道徳的に高めよう。経済でも十分道徳を実践できる。経済とは道徳の実践に他ならない。金持ちはけちだというのはそれだけ倫理的に高い、自分に厳しいということだ。道徳的に高くなろうとすると他人との摩擦や葛藤が嘘のように消える。まるで自分が透明になったかのようだ。理系キチガイ系の道徳と私の道徳はまるで違うが、氷炭相愛すともいう。違っているから役に立つこともある。全く同じなら互いに必要としないだろう。アメリカ人も欠点は多いがピューリタン的な潔癖さ、勤勉さを持ち合わせている。だてに世界一豊かな国になったわけではなくて倫理的に高いのだ。私は道徳的ではないのでアメリカ人と衝突しやすい。私は何人とでも衝突しやすいが。私が道徳的に堕落したことはきっかけは何か思い出せない。でもそんなことはどうでも良い。今から改めれば良いだけの話だ。 道徳の話に気づいたのは大きかった。私の人生を巡るトラブルの一切は道徳に関するものに全て関わる。遅刻のこと。小六の時は遅刻さえしていないのに苛められていた。あのばかと付き合っていたからだ。でも私の道徳的退廃に気づいていたからそういう行動になったのだろう。そう今は思いたい。教師という職業倫理に忠実だったのだ。私はそれに比べてどうだろう。どんな職業倫理にも忠実だったことは一度もない。中高生の時は勉強に打ち込んだ。点取り虫だった。そこだけ道徳心が高かった。ほとんどマゾヒストだった。それが嫌になって、大学に入ったら勉強を止めた。本格的な道徳的退廃の始まりだ。やがて狂気が襲ってきて私は内側から崩壊した。自分で堕落するスピードより早く。なぜそうなったかはわからない。道徳的退廃がなぜ起きたのかもわからない。狂気がなぜ襲ったのかもわからない。人間は分からないものだ。それ以来私は仕事も勉強も手に着いたことがない。何もかも中途半端だ。周りから見れば使い物にならないのにプライドだけはなぜか高い。これではいけない。やはり道徳的に高める方に進もう。私にはサドの退廃が巣食ってしまっているのでなかなか退治は容易ではないが、自分の敵は本当は自分だ。自分で自分を尊重できなければ誰も尊重してくれない。今回の文校は良かったかもしれない。自信がついた。自分にも何かが残っているとわかった。努力することは尊い。道徳的に高めることは尊い。 すごく今良い気分だ。最悪な場所を通り過ぎてようやく今水面から頭を出した。 道徳的に高まるのは時間がかかる。その間にもキチガイが襲いかかってくる。それを何とかしよう。キチガイにはアサーティブに対処することが肝心だ。弱者の武器だ。モラルハラスメントに対処する有効な武器だ。世の中キチガイだらけだ。キチガイに対処する手段を身に付けなければならない。キチガイには断固たる態度を取ろう。キチガイにはつけこまれないようにしよう。中学時代のあのキチガイは繰り返し襲ってくる。キチガイ対処法。それを考えよう。一方で道徳的に高まる方法を考えよう。 キチガイは絶対に受け入れてはならない。受け入れられていると思うからそこに付けこんで襲いかかってくるのだ。コンクリート詰や宅間の事件と同じだ。信頼や受容に付けこんでくるのだから、絶対に受け入れてはならない。 敵は自分の中にある。それとは別に通り魔的なやつがいる。中学時代の教師とか、hとかkとか他人の権利を侵害するとか危害を加えてくる。これは断固として排除しなければならない。対抗措置を取らなければならない。そもそもは受け入れてはならないやつを受け入れてしまったのは私の優しさであるが、それは私に不幸をもたらした。私の倫理観が内部から崩壊した。おかしなやつは排除しなければならない。道徳的に高める第一歩はおかしなやつを排除することであり、権利侵害を排除することである。それもできなくて道徳的に高めると言ってもだめだ。だからuさんみたいな人は危ない。近づかない方が良いし、近付けない方が良い。 私は受け入れられない。oとかeとかは見た目からしてだめだ。拒否する権利は誰にでもあるのにないかのように振舞うのはなぜだ。お前には拒む権利なんかないんだよ的な態度が一番むかつく。失礼過ぎるんだ。相手の意思を確かめたのか。断固拒否させてもらう。 道徳的に高めるように努力しよう。一生努力だ。禁欲も堕落も知っている。人間は自由だということだ。でも道徳的に高まるよう努力しなければならない。私の敵はあのキチガイどもではない。自分の内部の退廃だ。堕落だ。絶望だ。ニヒリズムだ。 資本主義は欲望を肯定する。でも道徳的に高く保っていれば、大丈夫だ。飛行機に乗るのと同じことだ。許された危険。私は文学に打ち込みたい。文学も道徳的でないと良い作品は書けない。生半可な気持ちではだめだ。いろいろ約束事があるのは芸事の常だ。芸は道に通ず。 egはモチベーションとパワーを与えてくれた。私のやるべきことはやるべきことをやることだ。やるべきでないことを止めることだ。私はようやく道徳的になるチャンスを得たのだ。 嫌なことは嫌、だめなものはだめといえることが道徳的である基本中の基本だ。悪いことをしても何も言えないとキチガイ、犯罪者、人非人は付けこむhやkと同じだ。痴漢と同じだ。 昨日に比べるととても改善した。気分が良くなった。旅行は大事だ。ダイエットと体力増強になる。すぐ回復する力がついただけでも改善だ。前は全く長く回復しなかった。これで何があっても大丈夫だ。egに出て良かったと思えるのはこういう回復力がついたことだ。道徳的に高めなければならないという大きな気づきに至ったということも大きい。 むしろ今まで正気だったことは一度もないんじゃないか。それならこれから正気に戻って頑張ろう。その準備ができた気がする。道徳的に自分を高めて仕事に私生活に頑張ろう。今までの人生は悔やんでも仕方がない。そうなるべくしてなったと思うしかない。 金を遣って快楽を貪ってはいけない。道徳的に正しくなければならない。自分で道徳的におかしいと気づかなければならない。当然のことだ。このことに気づけば大丈夫だ。 昔は本当に道徳的だった。人間は道徳的に生きられると信じる。悪いことをしないと生きていけないとは思わない。egに出て元気が出たとしてその元気を悪い方向とか快楽を貪る方向に向けてはならない。道徳的に自分を高めること、自分の価値を高めること、自己啓発に向けよう。私にはまだまだパワーや能力があるとわかった。あんなキチガイババアなんか比べ物にならない能力がある。道徳的に正しい道に戻りさえすればあんなキチガイが何を考えようが何をやろうが絶対に邪魔も真似もできないことができる。仲良くなんかしなくて良いんだだって向こうが勝手に攻撃してくるのに仲良くなんかできるか。 道徳的に生きよう。道徳がなにより大切だ。目標が見えた。重大な人生の転機だ。これからは上り坂だ。egで生まれ変わって今度は内部から自発的に生まれ変わるときだ。これからが本当の人生だ。 大阪そごうに行って来た。楽しかった。美しい。大阪も捨てたものではない。東京には及びもつかないが。でも人当たりしたようだ。とても疲れた。私はでも大阪にはあるいは都会にはなじめそうにない。あと何年暮らそうとも。私は自然が好きだ。資本主義には違和感を覚える。でもその御蔭で北海道にも沖縄にも行けるんだけどな。道徳一本槍で生きていくことは可能だと確信している。日本中、世界中どこでも。悪いことなんかひとつもしなくても絶対に完全に生きていくことができるのに。何を勘違いしていたのだろう。 道徳おじさんになろう。私はおかしい。おかしいが道徳的に高めることが人生のあるべき姿だ。文学でも同じことだ。 嬉しい。キチガイと11日も会わないで良いということは何て幸せなんだろう。それがなにより嬉しい。もう永遠に何の関係もないのだ。人間じゃないのだ。死ね。今日を限りにこのキチガイどもと永遠の別れを言いたい。君達賎民と私のようなエリートとの間には何の接点もないのだ。死んでくれたまえ。道徳的に遥かな高みに舞う私と君ら汚泥の間を這いずり回るキチガイどもとは全く接触があってはならないのだ。わかったか。キチガイ。 キチガイともう永遠に会わなくて良いんだ。なぜならお前らなんか全く存在しないごみだからだ。道徳的に崇高な高みにいらっしゃる私とお前ら豚のクソと同じ空気を吸うこと自体がありえない間違いなのだ。私は神であってお前らは犬のクソだ。なぜなら道徳的に最低だからだ。キチガイであり犯罪者であり人非人だからだ。 私のような道徳的に完璧な神のようなお方とお前らキチガイで犯罪者で人非人達と同じ空気を吸うことはありえないのだ。神は神、クソはクソなのだ。決して混じり合うことはないのだ。私は道徳的に完成されている。お前らは犯罪と狂気に明け暮れるくずだ。存在していてもしようがない。私は永遠の生命を与えられた神だ。神とクソが何で同じ空気を吸うのだ。ありえない。神は神だ。クソはクソだ。わかったか。永遠に俺の側に近づくな。
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