希望の日記

2005年09月09日(金)

 今日は昨日に続いて早く目覚めてしまった。最近キチガイのせいでうつがぶり返している。体重が減り気味なのに気づいた。下痢することが多いからな。最近いろんなことを考える。差別されているとか苛められているとか。苛めは今に始まったことではなくて、中学時代からある。私が女性的だからだろう。女性的だから当然女も嫌いだ。そうすると女とも対立する。孤立する。そういう図式だ。権力者からもにらまれる。あの病気はよくなかった。今更悔やんでもしかたがないが。もう考えない。考えても仕方がない。受け入れるべきでないものまで受け入れたからあそこまで行けたのか。何がどうなっているのかわからないが。私の考えることはほとんど間違っている。だから考えない方がましだ。受け入れない。受け入れられることを求めない。
 今大変なミスマッチを起こしている。社会あるいは会社と私自身との間に。今考えるのはよして回復するのを待とう。やっぱりあの二人は嫌われている。どう考えても好かれないだろう。あんなタイプは。途方もないバカのくせして。アサーティブに生きよう。そして繊細に生きよう。乱暴に生きても仕方がない。あのキチガイどもみたいに。egに行ってから考え方が乱暴になった。やっぱり人間は優しく真心で生きなければ意味がない。あんなキチガイの人生に意味があるとは到底思われない。
 受け入れない。受け入れることと受け入れないことを峻別する。敵と味方は峻別する。受け入れられないことを受け入れようとするから無理がある。無理があるからうつになる。こんなに我慢しているのにと恨みたくもなる。受け入れなければいいのに。そして受け入れることを強いてはならない。
 中学の時は無理していた。高校の時も。そしていろんなところにしわ寄せが来た。良い子だった私は問題児になった。いじめられっ子になった。感じ方や考え方が普通じゃなかった。おかしいというか普通じゃない。自分の利益を考えない。受け入れるべきでないものは受け入れない。それが大事だ。
 戦う以外ない。仲良くしようとしても向こうは喧嘩を売ってきているんだ。戦う以外ないじゃないか。向こうが殴ってきているのに何でおとなしくしていられるんだ。あの女どもまで喧嘩売ってきた。絶対許さない。喧嘩上等じゃないか。何で喧嘩を売ってくる。受け入れないなら戦う以外ない。なんだ、あのキチガイどもいい加減にしろ。
 本当に疲れる。うつになりそうだ。あのキチガイども。死んだら良いのだ。受け入れない。私は受け入れない。あの声と姿を見ているだけで気が狂いそうになる。ほんとに殺意を感じる。死ね。何も考えずに休もう。疲れている。私の考えることはおかしい。普通じゃない。
 とにかく疲れている。休もう。11日間も休める。今おかしいから考えても無駄だ。全部今考えることはおかしいので考えることは全ておかしい。考えないのが一番良い。
 疲れた。予約はほぼ終わった。ミナミに出かけて帰りに雨にうたれた。驟雨だ。俺が言いたいことはひとつだけだ。俺に嫌がらせをするな。俺を眼の敵にするな。それだけだ。
 帰りがけに思った。egである種の力を得た。それも使い果したらまたうつに戻って弱ったところを狙われて攻撃される。力を永続的でポジティブなものに変えていかなければ。道徳的であれ。力を得たものはそれを乱用することは許されず、道徳的に高く自分を律しなければならない。この世に新たに何かを付け加えなければならない。ノブレスオブリージュという。その気持ちが必要だ。力を得たから、それを自分のために全部使おうと言うのは下司な考えだ。道徳的に高いことができるようになることが成長と言えるのだ。女なんかを相手にするのは本当におろかだ。egでパワーを得た時にメサイアコンプレックス的なことをいわれた。それで道徳的に何か高いことをするのは悪いことのように思ったがそうではないと思う。自分の力をより良いことに使うのは良いことだ。少なくとも道徳レベルを向上させなければだめだ。勉強ひとつするのも道徳心がなかったらできない。
 私に仕事が見つかった。道徳的であること。この得たパワーを良いことに使うべく努めること。小説に使っても良い。でも堕落的な内容を目的とするのでなく新たな何かを付け加えることを目的とせよ。自己暴露や自虐は何も生まない。成長とはより高い道徳を実践できるようになることだ。真面目な私は堕落においてもトップを走って罪をいっぱい犯した。だったらまた道徳的に向上することも一所懸命できるんだ。ババアのことなんか全く関係ない。
 私は残っていた優しさを捨てることで少しだけ強くなったかもしれない。でもそれが何だというのだ。結局同じ穴に戻ってしまった。それは道徳的に何も改善されないからだ。母は私を離れていった。私に優しさがもう残っていないと悟ったからだ。それで満足だろうか。ばあさんが醜いのは当たり前のことじゃないか。そこまで堕落したのか。今日帰りに電車に乗って暇そうな悪臭の漂うばあさんたちを眺めていてそう思った。優れていなくて良いじゃないか。年とって醜いのは当たり前のことなのに。堺市民がバカで無礼で低脳で汚らわしいのはきわめて自然なことだ。
 道徳を高めるのは楽しいことだ。文学とは関係ないが、大事なことだ。キチガイのことなんてどうでも良いんじゃないのか。女なんか100%キチガイなんだ。何で相手にするんだ。バカじゃないのか。もっと道徳的に高いところを目指せ。女なんか相手にして一体どうするのか。
 道徳的に高いことは良いことだ。宗教とか心理学とか文学とか関係なく、道徳は必要だ。セネカを読もう。


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