今日は雨だし遠足は休もう。疲れている。私に起こったこと。ババアが気持ち悪かったので一緒に仕事をしたくなかった。ババアが逆上して私を攻撃にかかった。自分が偉くなって、受け入れられないということがないようにしようとした。それでも私は受け入れない。昨日のp文研でも同じことじゃないのか。疲れているから受け入れることができない。どうしても受け入れなければいけないということではない。ババアから自分を守らなければならない。受け入れないのであれば必ず攻撃してくる。反撃しなければならない。 あのババアは私を殺そうとしている。仲良くなんかできるわけないだろう。世の中人殺しばっかりだ。休みたい。一ヶ月くらい休んで元気を取り戻したい。あのババアが来たときからもう休みたかった。受け入れなければならないというibはやめよう。何でも受け入れなければならないというものではない。 自分に危害を加えようとしているやつまで受け入れることはできない。あのババアは私を殺そうとしているのだ。私は昔5年間引きこもりだったことがある。その時代に戻るのか。一ヶ月休んでも同じことだろう。それにしても疲れている。とても疲れている。 疲れた。休みたい。脳が疲れた。本も読めない。人に会うのも嫌だ。仕事も身が入らない。疲れた。本当に疲れた。5年間戦い続けてきた。あの人殺しと。人殺しとなんで戦わないといけないのだ。休みたい。あんな職場行きたくない。私が道徳的に悪いのか、疲れているのか。身の回りのことをきちんとしよう。最低限のことができなくなっている。あのばばあが来てからだ。 疲れた。無意識に人に喧嘩を売ってしまう。ババアが喧嘩を売ってくるからどうしてもそうなる。あんな人殺しとどうして仲良くできるのか。あまり人前に出ないほうが良い。会社にも行かないほうが良い。休んだほうが良い。 疲れた。キチガイを相手にしてはいけない。相手にする気はなくても一方的に攻撃してくる。今一所懸命に仕事をする気はない。疲れすぎている。昨日の飲み会でもやっぱり疲れているのでだめだった。疲れているときはだめだ。ましてうつのときは。私は単に道徳的におかしいのか。あんな変な表が作れないのは疲れすぎているからだ。あんな職場はおかしい。 こんな社会は全否定でいいんじゃないか。あの木辺という作家みたいに世の中を否定して背をむけて生きるということ。あらゆるibを捨て去ること。人格道徳云々はばかばかしい。あのババアは人殺しなのにとがめられない。合法的に私を死に追いやることができるのに私は道徳的に自分を責めなければいけないのか。おかしいじゃないか。 この世は人殺しだらけだ。人殺ししかいない。休みたい。休むことは敗北ではない。自分を癒す大切な決断だ。以前会社を休んでそのまま行けなくなった。あれは病気だ。体の病気だ。無理してはいけない。キチガイや人殺しと仲良くしようなどと思ってはいけない。うつは脳の病気で怒ったり攻撃したり、いじめても良くはならない。この社会はキチガイと人殺ししかいない。そのことに泣き言を言ってもしようがない。人殺ししかいないのに道徳とか倫理とかいってもしようがないだろう。休もう。会社を休もう。脳の状態がおかしい。キチガイや人殺しと仲良くしようとしてもだめだ。キチガイが私を殺そうとする。キチガイや人殺しだらけだ。 休んだほうが良い。本当に疲れている。人殺しだらけの世の中でなぜ人を信じるのか。ヤンキーだ。私は気づいたらヤンキーになっていたのだ。優等生だと思っていたが主観であって、客観的にはヤンキーだったのだ。ヤンキーだったらヤンキーでいいじゃないか。人殺しなんだから人殺しと思えば良いのだ。世の中は人殺しだらけなのに不思議なことは何もない。 人殺しから身を守らなければならない。世の中は人殺しばかりだ。どうして信用するのか。私にはわからない。人殺しが私を狙っている。egで得たものは疲れていても明るく元気に振舞うことである。しかしそれは結局消耗と蕩尽を引き起こすのだ。疲れているのに元気なことはむしろ危険じゃないのか。エネルギーを消耗してしまう。休むことだ。危険から遠ざかることだ。原因をなくすことだ。人殺しを放っておかないことだ。人殺しは人殺しだ。 人に会いたくない。人が恐い。好きになれない。好かれるとは思われない。全ての人に好かれようとするというのはibだ。キチガイや人殺しから身を守らなければならない。 私は何も悪くない。私が女性的であろうと、何であろうと非難されるいわれはない。道徳的である必要はない。相手は人殺しなのにどうして私が反省したり私が性格を直そうとしたり、道徳的であろうとしたりしないといけないのか。キチガイはキチガイ、人殺しは人殺しだ。
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