私は良く悪いことを考える。昨日も先生は私に悪感情を抱いていないのになんだかびくびくする。よく小さい頃意味もなく毒舌を浴びせられたことを思い出す。そういう家はどこにでもあるだろう。でもそう多くはない。人はそんなに悪くない。いつも自分が苦しみ、不幸になるように振舞う。悪いことをして自分が罰せられることを望む。おかしい。これからは自分を愛そう。自分を幸せにしよう。そのように努力することは全く正しい。 自分を愛している。私は。本当に心から愛している。その気持ちさえ忘れなければ大丈夫だ。自分を愛することは甘やかすことではないから罪悪感は不要だ。芸術やスポーツをやる奴が苦手なのは当然のように自分を愛するからだ。それが苦手な私はそれが嫌なのだ。でも自分も自分を好きになればいいのだ。自分を好きになると気持ちが変わる。悪いことを考えなくなる。そんな必要は毛頭ないからだ。自分を愛すれば少しくらい厳しいことにも音を上げなくなる。人にもやさしくできる。ibに見えることは会社には多いが強制力で担保されている以上、ibではないことは明白だ。自分を愛するとそんなことは簡単に区別がつく。自分を愛すれば人を憎むことはなくなる。羨むことはなくなる。あのババアにうらやましい点なんかあるか。全くない。人を恨み、憎む暇があったら、自分を愛する方が何兆倍も得だ。自分を愛することだ。人を憎んで得をした奴なんか歴史上いない。自分を好きになれば人を幸せにできる。評価もされるし、愛される。何の問題もない。自分が好きになれば困ったことなんかないんじゃないか。厳しい仕事もできるし、人にやさしくもできる。 今日はちょっと仕事をした。引継ぎの仕事だけど。体が自然に動いた。自分を愛する気持ちが何十年ぶりかによみがえったからだ。キチガイが私を攻撃する。それが恐いか。自分を愛していれば何も恐いことはないだろう。自分が好きだ。自分が好きなら悪いことはしないし、全てうまく行く。誰も腹が立たないし、全てうまく行く。 自分の欠点を直そうとするよりもただ自分を愛すれば良い。そうすれば自分の良いところが自然に出てくる。私は自分が好きだ。自分が好きだ。 ヤンキーみたいな職場の女とどう付き合ったらいいか大体わかった。b校の女だって似たようなものだ。オニババ化している。それは礼儀正しくすることだ。それは卑屈とは違う。礼儀は自分を愛するがゆえに行うものだ。相手を尊重すると同時に自分を守るものだ。護身術だ。どれだけ強くなっても上には上がいる。強くなっても孤独になるだけだ。礼儀正しくして適切な距離を保つことだ。他人でいることだ。女と仲良くする必要などない。 いろんなibを発見するのはいいだろう。でも自分の外にあるものはほとんどibではない。エリスは内面を点検せよといっているのだ。 自分は激しく変化する。変化に疲れると自己嫌悪に陥る。休もうとする。すると以前と違ってあっという間に破綻する。変化を受け入れる。変化する自分を受け入れる。そういう自分を愛する。変化を楽しむ。自分はどんどん変化している。それを楽しむ。昨日と今日ではもう違う。当たり前として味わう。自分を愛する。変わる前の自分を愛し、変わったあとの自分を愛する。どちらも隙。失敗しても成功しても同じくらい好き。変化を嫌い、倦み疲れ、自分を嫌いになると、眠れなくなる。攻撃的になる。行き詰る。発狂する。
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