楽しかった。昨日の忘年会は。あまり外に今は出ないほうが良いだろう。私の状態が良くないのは仕方がない。人をコントロールすることはできない。相手が進んで言うことを聞いてくれるときだけなのだから合意のときだけということだ。ああいうところにいってもなじめないが、以前よりはなれた。仲良くなれば不安は消える。休むことだ。快楽におぼれないことだ。自分を守るのだ。自分を好きになる。自分が好きだ。ありのままの自分を受け入れる。文校も外と考えると辛いが中と考えると楽しい。でもどうしてそれが維持できないのかなと思う。疲れやすいのだ。mだからだ。薬で休もう。風邪も治らない。薬でしっかり休むことだ。私は本来の優しい人柄が好きだ。それで十分だと思う。いろいろ余計なことを考えたくない。隣のグループに移りたい。でも全ての問題は解決したと思う。神に感謝すること。良心に感謝すること。自分を愛すること。やればできるからやること。問題は存在しない。問題は存在しないのにあるといわれるのは心外だ。日本人は欧米人とは違う。違って当たり前だ。違いを尊重しよう。 疲れている。疲れていても頑張るのか。少しだけ頑張ろう。自虐的な私に愛想が尽きて頑張ることをしなくなってからもう長い。すっかりぐうたらが身についた。私の世界観と周りの人のそれとが大きく食い違う。ほかの人が考えるようには考えられない。変わっているとはこういうことか。宅間や宮崎も大きく異なった思考をした。でも私は自分が変だということがわかっているので犯罪や狂気に走ったりしない。ただ神に感謝し、両親に感謝し、自分を愛するだけが私にできることだ。やれば何でもできる。小卒のおっさんが長者番付に載る。神戸はきれいな女性が多い。町もおしゃれだ。最近行ってないな。 自分が好きだ。そうすればそう間違ったことはしないし、考えない。疲れている。疲れると大変不機嫌になる。快感ばかりを与え続けても良くないようだ。脳が快感に耐えられなくて不調になる。麻薬をやるのと似ている。 やれば何でもできる。余の辞書に不可能の字はない。腰が痛くなってから眠れなくておかしい。恐い。昨日は人が恐いと思った。あのグループは基本が体育会系なので恐いことは恐い。あまり立ち入らないほうが良い。あのおっさん恐いし。恐いと嫌いはほぼ同一だ。私の精神はどうにかならないだろうか。m的なところ。それが全て台無しだと思う。疲れている。休んだほうが良い。&人に会わないほうが良い。人と話すだけですごいストレスになる。そうして父の死と結びついたうつな状態まで追い込まれる。多分工夫次第でしのげるようになるだろう。休むことだ。そして仕事を減らすことだ。たとえばmでも本物は実際にやる。私はやらない。ビデオはたまに見たくなる。空想の世界だ。快感に弱い。薬やアルコールにも弱い。依存しやすい。父親からの遺伝と思う。体質はアルコールに強いが脳は弱い。依存体質だ。愛情にも依存しやすい。権力や金にも。性にも。誰でもそういう傾向があるがセーブできるようになっている。私は自分が好きだ。女のように自分が好きになってよい。男が自分を愛してはいけないというのはibだ。思う存分自分を愛しましょう。人は皆個性があって一人で何もかもコントロールすることはできない。自分の個性に合ったことをやれば良い。 仕事の量を減らし、自分も楽で相手も楽というレベルに設定することが大事だ。小説を書いたときそう思った。あれは仕事の基本だ。機嫌よくなるのは簡単だ。機嫌とはコントロールできるものだ。赤ちゃんは自分の機嫌をコントロールできない。大人はできる。昨日の忘年会でも自分からウェルカムな気持ちを演出することは十分可能だ。ウェルカムな気持ち。この間の文校で階段を上がるとき、疲れていつものように不機嫌だったのだが、ここは利害関係ないのだから、機嫌よくしようと思って行ったら、機嫌よくできた。あそこは結局文学とは違うものが渦巻いている。会社でも金をもらって契約しているのだから機嫌悪いことはできない。当たり前のことだ。文校でできたことが会社でできないわけはない。無理なことはない。ウェルカムな気持ち。簡単なことだ。 できることをできる範囲でやっていこう。できることをやるのだからできるに決まっている。自分も楽で相手も楽。これは全てに通じる。頑張るのは結構だが、自分ができる以上のことをやろうとしてもたいてい失敗する。それに自分が疲れ、傷つく。だからやめた方がよいと言っている。私の受験みたいなものだ。禍福はあざなえる縄の如しだ。幸不幸は状況や主観で大きく変わる。何が幸せとは一概に言えないのだ。 今はゆっくり休んで人に会いたくない。今回のことでわかった。これも自分に無理を強いている。それはだめだ。文校はぎりぎりだ。職業がかかっているからこれはokかも知れない。風呂に入ると気分が改善した。知らない人との忘年会は私の能力を超えている。疲れているからやめたほうがよい。できることを苦しくない範囲でやる。できることはできるし、できないことはできない。できたらできないことではなくできることだ。 自分が好きだ。愛される価値のない人はいない。全ての人は愛される価値がある。自分が好きと言うのは当たり前のことだ。だけど私はそれができなくなっているので意識してやるのだ。当たり前のことができると世の中が違って見えてくる。自分が好きになると世界が開ける。人間が見えてくる。自分が好きでなかったら仕事もできない。自身も責任感もないからだ。自分を愛するとようやく仕事をする気になる。自分が好きだ。でも人に会いたくない、今は。ほんとに危険だと思う。会社にも行きたくない。 自分が好きだ。自分が好きだ。休もう。ゆっくり休もう。自分が好きだ。昨日傷ついたナルシズムを再び取り戻す。文学に触れるときのみ自分に価値があると感じる。自分が好きだ。自分が愛おしい。自分を愛すると自分を愛してくれるだろう。私は人を憎む必要はない。 自分が好きだ。自分を好きになればなるほど自分を信頼できる。嘘をつく必要はなくなる。人と交わらなくても寂しくない。自分が好きだ。自分が好きだ。当たり前のことだ。自分が好きになることは最大の防御だ。自分を守るために人を攻撃する必要などない。というか自分を好きになれば適切に自分を防御することができる。自分を愛することをやめると行動がコントロールできなくなる。自分を愛することは最大の自衛行動だ。だから自民党が愛国心教育を唱えることはわからないでもない。過去の過ちを反省することは必要だが愛国心を完全に除去することは可能ではないし、必要ない。私は私のやり方で故郷を愛している。明治以前は国とはふるさとに他ならなかった。そこまでさかのぼっても一向に構わない。 自分を好きになるといかに自分がこれまで自分をなおざりにし、冷たくあしらってきたかわかる。どうしてそうしたのかわからない。山口県の文人を特集していた。共通点があるようなないような。皆良家の子供だ。真面目だ。山頭火も真面目だ。山頭火も読んでみたい。金子みすずも。中原中也も。自分を愛する余裕があるならば読むことができるだろう。自分を愛することを禁じると自分に快楽を許さなくなり、疲れ果ててゆく。自分をもっと愛しましょう。 自分を愛することはすばらしい。自分を愛している。一日一回は確認したほうがよい。自分を愛していることを。自分を愛することはすばらしいことだ。全ての人は愛される価値がある。全ての人は愛される価値がある。 自分を愛することは免疫であり、自衛であり、セルフカウンセリングの第一歩である。大体昔から自分が好きだった。でも男だから自分を愛してはいけないと思い込んでいた。全然そんなことはない。ありえない。現実離れしたことを信じていた。自分を愛することは基本中の基本だ。男とか女とか関係ない。全ての基本だ。自分を愛することを禁じられることはない。自分を愛して初めて仕事ができるのだ。自分を愛することは大変なパワーを私に与える。モラルも自分を愛することから始まる。自分を愛さなかったら真剣に生きようと思うだろうか。なおざりにするだろう。私の投げやりでいい加減な生き方は自己愛を失ったことから始まる。そこからスタートだ。自己愛はすばらしい。人を傷つけない。すばらしいパワーを生み出す。文校で頑張れたのは他者に認められたから自己愛を少し回復したのだ。 自分が好きだ。自分が好きと言うことは人が自分が好きでもいいということだ。自分が好きである自分を認める。自分を愛することが悪いわけではない。良いことだ。というか絶対必要なことだ。水や空気と同じだ。 自分が好きだということはいいことだ。生きる基本だ。自分が嫌いな人間を大事にしようとは誰も思わない。自分が好きだ。まだ女と仲良くするところまでは行かない。楽しい。自分を愛することは楽しい。人生が楽しくなる。自分が好きというのはいいことだ。というか基本だ。 世の中についていけない気がする。文学とはそういう魔力がある。バーチャルな世界といえばこれほどバーチャルな世界はない。でも何に価値を置くかだから気にする必要はない。自分を愛すること。金子みすずは女ながらに賢者と思う。言葉という武器で心の真実をつかんだ。命と引き換えではあったが。全ての文学は命と引き換えである。命を酒に変えることだ。快楽という美酒に。一握りの天才にのみ許される生き方を私は生きようとしている。 自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きになると嫌いな人間がいなくなる。と思う。自分を好きなら人を嫌う必要はなくなるからだ。自分が嫌いな人間は自分を守るのに必死で、人を傷つけようとする。愚かにもほどがある。幼子だってそんなことはしない。私は他に依存することを自分に許さなかった。それはあまりに過酷である。 自分が好きというのは良い。誰でも多少はしんどいんじゃないか。でも家族を養うために耐えている。家族を愛するのは自分が好きだからだ。自分が嫌いだったら家族は愛せない。文学は食えないものだ。売れっ子になって初めて食えるが一握りだけだ。自分が好きというのは人が好きになるということだ。自分が好きというのは恥ずべきことではない。ほめられるべきことだ。武士が切腹するのは自分を愛し、名を惜しむからだ。嫌いだからではない。 自分が好きだ。自分が好きになってから少し人間らしさが戻ってきた。文校の皆さんだけには少しは人間らしく振舞えるようになった。他はどこでも同じじゃないか。文学的才能があるということは特権である。わずかなものにのみ許された特権であるから享受してよいのだ。しかし特権には義務も伴う。何か書かないといけない。いい作品を書かないといけない。三島みたいに良い作品を描かないといけない。私のおかしな趣味を、その結果傷ついた精神を小説に生かせば良い。小説に残りの人生を捧げよう。和尚の誘いを断ったのは勇気がなかったから。私の惨めな人生を見かねてせっかく言ってくれたのに。愚かだ。人の好意がわからないなんて。幸せになる勇気がないのか。作家だって結婚しているじゃないか。作家だって倫理を守れば全然okだ。 自分が好きになれば自分が好きで自信のある道に進むだろう。自己評価が低いために進路を誤ったとしか思えない。今からでも遅くないから、自分を信じて好きな道に進んだら良い。自分の好きなことをやって自分を愛している人間を人は嫌いはしない。 目に見えるものだけが価値があるのではない。文校で私が得たもの味わったものは計り知れない。自分の力で掴み取ったもの、与えられたもの、いろいろある。文学に留まらない多様で豊穣な何かであった。価値があると思ったら貪欲に行かなければならない。文学は私にとって宝の山だ。あんな場所に出かけないようにしよう。浅ましい。 自分を愛そう。多田富雄のドキュメントを見た。生きるとはすばらしい。よく生きること。自分を愛することで多くのものを生み出す。私もそうしよう。芸術にかけよう。きっとものになる。自分を愛することは最大の防御である。尊厳を失わないでキチガイから身を守れる。それは自己愛である。自分を愛しましょう。もっと自分を愛しましょう。
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