希望の日記

2005年12月03日(土) 今日

 昨日は少しだけ眠れた。人間はコントロールできないことが多い。コントロールしようと思うことが既に間違っている。少なくとも苦しみを生む。ババアのことなんかコントロールできないし、考える必要はない。コントロールできるのは自分だけだ。しかも今の自分だけ。過去も未来も変えられない。私は年の割りに未熟だ。だからだめだとはいわない。良い面もある。自分を好きになれば楽しく成長できる。
 コントロールできるのは自分の行動だけだな。人のことを不快がっても仕方がない。z氏の言うとおり、プラスのストロークを出し続けるしかない。この間の文校がうまくいったのはその辺の呼吸が少し身についたからだ。純粋にちょっと楽しいと思ったのは確かだ。利害関係がないから。
 誰かと争う必要があるだろうか。この間の文校でもうまくいったのは皆okというスタンスだったからだ。それが何か危険だろうか。全く危険ではない。とげとか角とかそういうのが多すぎる。誰もそんなものは持っていない。この間うまくいったのは、そういうとげとか角が自分で抑えられたからじゃないのか。女のそういうところはまねしなくて良いのだ。落ち着いてゆっくりいけば困難なことはない。すべてokだ。この間の変化は大きな変化だったと思う。相手の喜ぶことをすれば良いというz氏のコメントは参考になった。
 自分を好きになることだ。自分を愛そう。やればできる。不可能はない。絶対にない。人間の能力は無限大だ。小説を書くと疲れる。精神的に負担になることは確かだ。自分が好きだ。これは正しい。宗教とか法律とか政治とか自分が好きというのは基本だ。自分が救われたいから、宗教があるのだ。救われたくなかったら宗教なんか必要ない。自分を好きになろう。自分を愛そう。自分を愛することは大きなメリットがある。今読んでる本にも書いてある。
 自分を好きになろう。私は自分が好きだ。私は自分が好きだ。大変自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。
悪い気持ちは私にはない。初めからない。私は良い人間だ。生まれつき良い気持ちが備わっている良い人間だ。善人だ。人に敵意を持つ必要があるか。全くない。全く問題はない。今は全く問題がない。
 内藤さんの問題点はわかった。愛情不足だ。だから過剰サービスして尽くしたりする。本人は疲れる。でも楽しければ良いんだけど。でも文学の世界でそんなことを指摘するのは野暮を通り越して野蛮なことだ。以後気をつけましょう。文学の貴重にして唯一の資源を奪おうとするのはやめましょう。セックス中毒で何が悪い。smで何が悪い。人に迷惑をかけなければいいのだ。
悩みなんか存在しないと気づいた。愛することだ。自分を愛すれば人は愛をくれる。不思議なものだ。自分に価値があると思えば人は価値があると思う。つまらない価値のない人間などいない。人を選別したり、序列付けしたり、差別したりすることは間違いだ。便利だから、気持ち良いからやっているだけであって、誰も正しいとは思っていない。全ての人は愛される価値がある。もちろん自分も含めて。今読んでいる本がすばらしいので思わず泣いてしまった。やっぱり愛は尊い。全ての人間は尊い。あの女だって愛される価値はあるのだ。


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