2006年01月01日(日) |
明けましておめでとう |
年が明けた。良い年になるだろう。楽しい。とても楽しい。昨夜の病的な気分とえらい違いだ。サザンの年越しライブを聞いている。いつもはこんなことはしない。外界に向かえば楽になる。内面を弄繰り回すと余計苦しくなる。 山手のドルフィンは・・・ユーミン聞いてみるかな。年が明けた。割と眠れた。ワニとトラのいる職場で誇りを守り抜いて生き抜いた。とても立派だ。褒めてあげよう。外界に向かえば、いらいらや焦燥は癒される。it社長なんか皆そうだ。文学は内面ではなくまぎれもなく外界に向かう行為だ。だから私にとって大きな力になるのだ。文学は心に刺さった棘をダイヤに変える行為だ。カズミとの痛みと甘さに満ちた時間を十年を経て客観的に書いた。それが評価された。父の死という大きな棘。いつかは私は客体化したい。大きな実りとしたい。 物語を通じてしか世界を理解できない。逆に物語で世界を理解できるんだ。物語では不十分だと思ったのでそれ以外の世界をみてきた。でも私はいつも物語を通して世界を理解してきた。私以外の人もそうだ。 外界に向かえば楽になる。内面にこだわれば辛くなる。心を軽くするために外界に行こう。引きこもりが終わるときだ。 今年は頭優位から体優位にシフトチェンジしよう。賢いといわれる養老とか何とか言う思想家にしても簡単なことしか言ってない。人間は馬鹿だから簡単なことしか理解できないだろう。理解できたようにしか行動できない。そこで一人だけ小難しいこといっても仕方ないだろう。そら病気になるわ。体を通さないで出てくることは100%間違っている。 少し元気が出てきた。体を通さないセックスとか体を通さない遊びとか仕事とかそれは絶対うまく行かない。生きることが体を通して生きることだからだ。 おとといくらい白熊のテレビを見て絶好調になった。それから揺れ戻しが来て、絶不調になった。それが大晦日の昨日からそこそこ好調になって無事新年を迎えることができた。やっぱり正月はめでたいな。 遊び、仕事、休息の三つが必要だ。どれか一つ欠けていてもいけない。今年は仕事しよう。頭だけでやろうとすると鬼になってしまう。あの二人はそうなりかけている。欲望の塊みたいになって。鬼になる。体はすぐに満足するのに、心は欲望に囚われると歯止めを失って、鬼になる。体と心のバランスが大事だ。今年は体優位で行こう。 体本位でやっていれば間違っても大したことない。間違わないし。脳だけで暴走し始めると大変な間違いをしでかす。体本位で乗り切ろう。 初詣に行ってきたが、並んでいたので帰ってきた。何で元旦に行列?と思った。日本人てじっとしていられないし、働かずにいられないのね。競争心優位。私は今年も競争と争いを避けよう。争いは一人ではできないし、競争も同じだ。 こんな日記も脳優位の行いだ。だからほどほどにしたい。ポイントだけでいいのだ。小説だってポイントだけ書いたものの方が評価が高かった。 今年は外に向かう。内面の混沌にうずくまらない。外に向かえば混乱が解消するきっかけがつかめる。二番目は体優位で行こう。小説も間違いなく体優位の行為だ。外界に向かうことが大事だ。外界に向かうときどうしても体優位でなければ通用しない。体優位で行くとき間違いはない。三番目は仕事をちゃんとする。体優位で行けばできるはずだ。脳優位でいくと周りとバランスが取れなくなる。四番目は人間関係をうまくやることだ。強さが必要だ。ある程度は。小説を書いていると強くなれる。ペンは剣よりも強し。人を手なずけることだ。うまく手なずけること。 外界に向かえば、必ず欲が出てくるはずだ。世界を所有したい。世界を支配したいという。小説は既にそういう欲望に基づく試みである。 小説を読まなくなったのも外界に触れることを避けるようになったからじゃないか。新しい経験とか、濃密な人間関係とか嫌になったからじゃないのか。難しい本を読んでいるとき、活字を目で追っているが読んでないときがある。大学のとき法律書を読まされたときそんな癖がついてしまった。小説ではそうは行かない。一言、一句ゆるがせにできない。
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