希望の日記

2006年01月08日(日)

 体本位で行こう。今朝は早朝覚醒だ。いらいらしている。この間何か言われたことが影響している。そんなことは普通にあることだ。でもストレスに感じていることは確かだ。いつもそうだ。何も矛盾に感じていなくても癇に障ることは確かだ。認知療法で一度やってみたら良い。体本位でいるからとことん悪化しない安心感がある。パニックにならない。人に意地悪されようが動じない。ストレスでもなんでもない。認知療法が役立っている。あのい先生自体が良かったのだと思う。最初の印象は干からびた理屈っぽい理論で食えなかったが、あの人の生きた説明でとても良くわかった。体でわかったのだ。あれから色んな結び目がほどけてきた。とても不思議だ。体本位で意識しているとそういう認知の歪みが面白いほど良くわかる。
 感謝の気持ちが大事だ。感謝の気持ちは実感されないことがある。今正直常には意識されない。でも憐れみや同情はある。思いやりもある。感謝はその先にある。心が弾力性を失っているのでうまく感じられないのだ。今物を買うときでさえ店員とぎすぎすする。なぜだろう。沖縄のタクシーの運転手ともめたとき。z氏とギクシャクしたとき。hともめたとき。あいつはチンピラだ。だがそれがもめる原因ではなさそうだ。嫌味な感じ。それは私の側にあることは間違いない。相手が誰であれ起こることだからだ。あのキチガイババアはその代表例だ。そして今ヤンキーがやっている。外人にもやられた。eg以来これが大きな問題になっている。処方箋は体本位と言う意識に変えていくこと。これは順調に行っている。目に見えて効果があるところを見ると、本質的な問題なのだろう。もうひとつは小説に打ち込んで別世界を持ち、ストレスを解放することだ。プライドを取り戻すほとんど唯一の道だ。金でも権力でもない第三の道。私にはこれしか残されていない。源氏物語を読んでいるときは王侯貴族になったような気分だ。谷崎も川端も寂聴も同じ気持ちだったに違いない。小説も体本位を思い出させてくれる。小説は読み飛ばしたり、誰かに変わって読んでもらうなどありえないからだ。あらすじで読む名作とか全く無意味だ。無意味なことをやる現代人は相当疲れている。
 それとはっきり言うことが大事じゃないか。相手が店員の場合、こちらの要求をはっきり伝える。急いでいるので早くしてくれとか。でもそれが本当の原因ではないので店員に言ってもだめかも。でもコミュニケーションとはそういうことだ。あのキチガイババアにも散々言ったから言わなくなった。言わずにわかってもらおうなんておかしい。切れたらいいのだ。対立するなら対立したら言いのだ。対立を恐れてはいけない。ゲームとかラケット感情とかいうことになるのだろう。一度交流分析を読んでみるといい。
 昨日は4時過ぎに目が覚めて日記を書いたが、その後少し眠れたようだ。今はすっかり快調になった。とことん悪くなると言うことがない。安心感がある。自分が正しいと思ったら一度言ってみることだ。アサーティブに。その過程でやっぱり自分がおかしいと思うかもしれないし、自分が正しいと確信するかもしれない。控えめかと思うと横柄で人格のバランスが取れていない。感謝の気持ちがあればその辺のことも間違ったりしない。自分が利益を受けていながら、責任は負わないと言うような間違いはしなくなるだろう。
 さあこれから鞆の浦に行ってくる。気分が見違えるくらい良くなった。全てうまく行く。自分が気分が良くなれば嫌味なこともなくなるだろう。控えめな自分と横柄な自分がバランスが取れない。でも調子が良い。最高に調子が良い。旅行は楽しい。


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