物事が良い方向に回り始めた。私は人に好かれる。誰からも親切にされる。がつがつしなくてもいい。あの京都での一夜。二日間。私はあの頃からはっきり変わり始めた。今の私はもうはっきり別人だといえる。がつがつしなくても良い。女に好かれてもいいじゃないか。冥土の土産だ。いくらでもくれてやればいいじゃないか。女を愛することは功徳を積むことだ。あの和尚はいっぱい功徳を積んできたのだ。私は体を忘れて畜生道に落ちてしまったので、多くの罪を犯してしまった。私は今状態が悪くなっているだけだ。この一年で大きく変わった。貪らなくなった。体に委ねるようになった。もう頭を使うのは止めた。養老先生なんか頭なんか使ってない。体で書いているから矛盾がなく大衆にも受け入れられる。 もう長いこと一人きりで生きてきたのでずいぶんおかしくなっている。人を受け入れられない。ツッキーも不審に思っている。向こうは心を開いているのに私の方はうまく心を開けない。人に好かれても人を好きになれない。人を尊重できない。依存もせず、離れもせず、うまく付き合うことは可能だ。 ババアや女が嫌いなのも症状であり、反応に過ぎない。体を思い出せばどう振舞えばいいかわかる。でもこの症状を抱えたまま、ババアに近づくのは非常に危険極まりない。症状も取れるようになって来た。徐々に弱まってきた。最初の頃ツッキーと反発したのはあの人がおばさんだからだ。私が女を嫌いな状態になったのはセックスでイッた後に体を触れられたくない状態になることと似た状態になったからだ。しかしそれはいつか回復するはずだ。休むことだ。働く、遊ぶ、休むのバランスが肝心だ。体が回復すれば喜びは再び蘇ってくる。そのための休みじゃないかなと思う。体に聞きながらどう進めばいいかゆっくり考えよう。 id用の写真を見て愕然とする。心が体を離れてさまよっている様が不気味だ。m君に言われたことの意味が漸くわかった。気が出ている。確かに悪い気が出まくっている。エクトプラズムだ。心と体がばらばらになって畜生道をさまよっているのだ。こうなったらスポーツとか文学とか森田療法とかありとある手段を使って心と体を統一しよう。体本位を取り戻そう。 b校の有栖川有栖の講演を聴いてきた。面白かった。盛り上がりもまあまあで良かった。文学をやっていてよかったと思った。おかしな人も多いがそれがb校だ。有栖川氏は知的で遊び好きだ。私はいつの間にか知的に愚鈍になっている。遊びを止めると知的に堕落する。女なんかどうでも良い。恐くもなんともない。どうにでもなる。100%思い通りになる。100%女の考えていることがわかるのだから全くどうにでもなる。
|