希望の日記

2006年02月19日(日) 今日

 昨日は芝居面白かった。芝居とは怪しい。三十女が中三の役で制服を着ている様はそれだけで怪しい。おまけにパンチラ大サービスで壊れている。精神的に不安定で突発性難聴だと言っていた。そういうものが表現者には必要なのだ。それがはじけて一気にすごいパワーとなって観衆を魅了する。芸とは制御された狂気だ。今日は堺の集談会に行こう。すぐ隣の建物でやっているらしい。日曜だし使える。酒を一週間くらい飲み続けているので疲れてきた。少し酒を抜こう。
 嫌なことは嫌といっていいのだ。小さい頃から嫌なことばかりやってきた。嫌なことは嫌といっていいのだ。良心に従い、取捨選択していいのだ。自分が嫌なことばかりやっていると人も嫌なことを我慢すべきだと思ってしまう。大変な勘違いだ。人の嫌がることをして言い訳がない。h君はそうやって社会の周縁に押しやられてきた。私も同じだ。自分が嫌なことを引き受けてきたから他人もそうすべきだと思う。それが大きな間違いだ。母親には大きな迷惑をかけた。父を殺し、家を焼き、引き受けを拒んだ。母は兄の家で嫁姑問題に苦しんでいる。この間はストレスから肺炎に罹り死にかけた。死にたがっているのか。今度は姉の家に引き取って欲しいといっている。それがベストだと思う。私には受け入れる精神的肉体的余裕はない。自分ひとりのことで精一杯だ。
 一番大事なものを台無しにする。h君と同じじゃないか。意図的にやっているところが余計にたちが悪い。神だったらどうするか。仏だったらどうするか考えて行動しよう。私にはその資格がある。父を殺し、母を殺し、悟ることがあると仏教では教える。人はそれだけ罪を背負って生まれてくる。でももう私は人になった。仏にも神にもなれる。
 体本位に戻ることだ。そうすれば女なんかどうにでもなる。自分にも身を守れるとわかった。嫌なことは嫌とはっきり言うことだ。それが全ての基本だ。私はあのグループには戻らないだろう。私はそんなお人よしではない。あんな不衛生な職場は真っ平だ。自分の身を守れないとはどういうことだ。身の危険を感じる職場ってどんなだ。私は暴力を誘発しやすい。小学校のとき転校していじめられた。それは収まったかに見えたが結局熾火のように私の中でくすぶり続けていたのだ。でもあの女優が言っていたようにこの経験で多くのことを知り、人より賢くなったので後悔はしていない。今は自分を守れるようになった。体本位で行くと簡単に身を守れる。護身術など習うまでもない。誰でもやっていることだ。z氏に心を開かれて私は20年以上掛かって人並みの人間になった。これからはちゃんと仕事ができる気がする。
 世の中は非常に危険に満ちている。家庭の中だってdvとか虐待がある。姉の家に行った時も歓待はされなかった。私が行ったことが娘に悪影響があるのだ。美しく生きたいし、そうする能力があるし、資格がある。私は暴力を誘発する。この会社に入ったときも理由もなく女にいじめられた。b校でも同じだ。女とは決してうまく行かない。でも今は自分を守れる。体本位になったからだ。egは暴力だ。洗脳だ。止めた方がいい。絶対に止めた方がいい。何でそんなに簡単に人を信用するのか。私は姉を信用できない。家に行こうとしたときいじめようとした。私は浩子は好きだが、姉は嫌いだ。
 今日は堺のs会に行って来る。小学校の頃から女は嫌いだった。それでも生きていかないといけない。女なんかどうにでもなる。怒らせようと思えば怒らせることもできるし、喜ばそうと思えば喜ばすこともできる。
 s会に行って来た。良さそうなので行ってみようかと思う。面白い人がいて、病気療養中で多趣味な人だった。小説を書いているというから変わり者だ。銀行を休職中だ。萩出身でホームページを持っている。パソコンに詳しい。凝り性だ。ネットトレーダーを自称している。友達になりたい。先達さんだ。他にも休職経験者が多かった。神経質症と言うのは私にも十分当てはまると思った。会社に行けないとか生活保護とか障害者手帳とか本格的な人もいた。私はそういう人たちのグループにはいっているのだ。そのことを認めれば楽になるし、無理をしなくなるし、友達もできる。認めなければいつまでも一人で苦しむだけだ。
 私は自分で身を守れるようになった。体で生きるようになったからだ。からだを動かすのがいいのはその間脳を酷使しないからだ。脳を酷使するから、精神安定剤を飲むことになる。


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