希望の日記

2006年02月27日(月) 今日

 昨日はフッキー氏と痛飲した。疲れていたせいか正直不安な感じがして恐かった。向こうもそういうのを敏感に感じる人らしく、機嫌が悪そうだった。こちらの嫌がることを散々言われた。要注意だ。あの手のメンヘラーは。でもせっかくこちらから誘ったのだから、私ももっと機嫌良く振舞うべきだった。でも中盤から終盤にかけては徐々に調子が出てきてうまく噛み合うようになった。これが今の私の実力であり、勢いというものであろう。彼は高卒でありながら(ひどい差別)知的で世間知に長け、独自の鋭い分析力を持っていた。知識、知恵共に兼ね備えていた。あのくらいの年齢の人であれば当たり前なのかもしれないが、私は及びも付かない。従業員の女の子とも素直にお話ができてよかった。すごい進歩だ。二次会はフッキーさんの公団住宅の近くにある北花田の寿司屋で大阪寿司を食った。うまかった。冷酒もいけた。したたか酔った。自転車でふらつきながら自宅にたどり着いたらバタンキューだった。朝までぐっすり眠れた。久しぶりだ。世間の人はこのくらいのインテンシティーで生きているのだ。私も頑張ろう。というか頑張れると思えるようになった。今やらなくていつやるんだという気持ちになった。こんな気持ちになるのに33年掛かった。中学入学以来、やる気を失っていたからだ。これからの人生は実り多いものになるだろう。長い風雪に耐えた枝が美しい花を咲かせるように。
 dvdを観た。発狂しそうなくらい興奮した。女神と呼ぼう。女王様というのとは違う。あれが私の理想像かもしれない。自分が良ければいいのだ。相手がそれを十分理解してくれるのであるから全く問題ないのだ。変態というのとは違う。趣味嗜好の問題だ。尊重されてしかるべきだと思う。外人が好きとか気持ち悪いと思っていたが、ブロンド好きは世界中にいる。変態でも何でもない。世界の男の憧れなのだ。私もそう思うことを自分に禁じる必要はないのだ。私は快楽を追及することを厳しく自分に禁止してきた。でもそんな奴は古今東西余りいないのだと気付いた。自分の利益と快楽を最大限追求するのは人として当然の権利だ。それを罪深いものと考えたりするから企業と合わなくなってくるのだ。企業だけではなくあらゆる人間集団と限りなくずれていく。そんな必要はないことにやっと気付いた。嬉しいことだ。
 私は本当に良い人で優しく、能力があり、尊重されるべきだ。この会社に入ったときに世話になった人物が完全におかしかった。私は尊重されてしかるべき人間だ。善良でかつ役に立つからだ。卑下したり、自分で自分をいじめたり、人が自分をいじめることを許したり、そんな馬鹿な行為は二度としない。自分を酷使して燃え尽きさせたり、ぼろ雑巾のように扱ったり、危険に晒したり、自暴自棄になったり、そういうことはもう二度としない。
 33年前の出来事と今の私の姿がはっきりと見えてきた。いじめとか孤立によってうつに近い状態になっていた私は、遅刻を繰り返すようになった。それをsosサインなのに鬼のようにいじめた中学教師。それで私は決定的におかしくなった。社会に出てからも同じことを繰り返した。疲れているからできない。やる気が起きない。それを権力者は反抗と捉え、攻撃する。客観的には私が単に間違っていて、怠慢で不届き者で、罰せられるべき悪者で、権力者は正当に権力を行使しているとみなされる。抗議しても虚しい。こうして不調になって初めて少しは理解される。私を本当に理解してくれる人は数少ない。フッキーさんも私のことなど全く理解してなどいない。それも当然のことだが。私はモラハラを誘発する。権力によるいじめ、処罰を誘発する。私は自分の何が悪いのかわからないので、攻撃者を憎む。私と教師の関係、私と母の関係、私と上司の関係、私とおばさんの関係。でも今こうして33年ぶりに回復し、真っ当な道に戻れそうだ。本当に良かった。これを私とおばさんの関係、権力者との関係、世間との関係と捉えるのは誤りだ。33年間間違った試みをしてきた。そのことに漸く気付いた。これからは自分のために生きるのだ。いじめられて自分がリーダーになったことがあったがそれも既に病的だったのだ。望んでもいないことをいじめから逃れたい一心で引き受けてしまい、やがて燃え尽きたのだ。好きでもない重責を引き受ければ誰でもそうなる。私が回復する道は好きなことに打ち込んで生きることだ。ツッキーのように。メンタルが心配ならスポーツをやれば良い。本当にセルに入会したら良いんじゃないか。人生の師匠と考えても一向に間違いではない。私の問題は私と誰か権力者、世間との関係などではない。自分自身の問題だったのだ。それがわかったことは大変な発見だった。
 私がいじめやモラハラ、処罰を誘発するのは私が悪いからでは断じてない。疲れて弱り果てているからだ。弱り果てている人間をいじめるなということだけだ。私が言いたいのは。私がやるべきことはしかし、私が弱っているからいじめることは悪いことだと抗議することではない。私は十分に休養をとり、自分を酷使したり、危険に晒したり、粗末な扱いをしたり、配慮しなかったり、つまり自分を虐待することなく、希望を持って楽しく生きるようにすることだ。そうなるまでに33年掛かったのだ。世間への抗議のために貴重な人生を空費したのだ。楽しむ時間も貢献する時間もなかったのだ。痛ましいことだ。でも気付かずに死んでいったのではないことは本当に喜ばしいことだ。祝福すべきことだ。私の人生全体が報われたといっても過言ではない。人生を価値あるものに変えるのに必要なのはたった一日であるというようなことを曽野綾子が言っていた気がする。
 私は自分自身、過去、現在の私自身の姿をかなりクリアーに把握できるようになった。これなら私がどんな人間でどんな状況にあるかを誰にでも理解してもらうことができる。私は暴力が嫌いだ。暴力で人を思い通りにできると信じている人間を激しく憎む。誰もそんなことを信じてはいない。中学のあの教師、一時期の私自身。父が暴力嫌いだったので、母親がその分暴力的だった。私は混乱したのだろう。私の性的位相が混乱気味なのはそのせいかもしれない。私は暴力でしか母や姉の干渉に対抗できないと感じた。兄はそれをうまくコントロールできる力を持っていた。私は幼く全く無力だったため、その力を身につけることに失敗し、何もかも嫌になって疲弊しきって、感情が鈍磨し、正しい判断ができなくなってしまい、錯乱し、ついには引きこもった。これが私の全てだ。モラハラを誘発し、それに対処する力がない今の私の原型はそのとき構造化され、33年間私を苦しめ続けた。
 今私はいる仏女性学者の言う過敏状態にあるようだ。今に始まったことではなく、33年前からそうだった。自分が迫害されていると思い込んでいる。心を開けない。権力者と良好な関係を保てない。過敏状態にある人間は社会における立場が不安定でつまり、職業上の保障が未来に亘って保障されないから不安定になるという。もうひとつは自分のアイデンティティーを他人の目に自分がどう映るかに依存しているからだという。ナルシスティックなのだ。大変良く思い当たる。ゆっくり健康を回復してから、この構造化されたモラハラを解消する確実な方法を実行しよう。それはごく簡なことのように思えてならない。私一人の気持ちだけで100%確実にできる気がする。私以外のほとんどの人間はそれができているのだ。透明人間になることで恐怖を少なくしようと必死だがそれが全く効果がなく、逆効果でさえあることは明らかだ。どれだけ引きこもろうと、目立たなくさせようと、うつになろうとますますいじめを誘発するだろう。絶対に止むことはないだろう。
 航空会社を退職に追い込まれ、翻訳業に生きる道を見出していた境界例の女性が、非常勤講師として日の当たる道を歩もうとしているが、痛々しいことこの上ない。私自身を見ているようだ。


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