希望の日記

2006年03月01日(水) 今日

 今日は雨だ。部屋でdvdを観ていると上の階の奴が物音を立てて攻撃してくる。本当に気分が悪い。昨日は疲れていた。昼から寝ていた。それから歯医者に行って、治療してもらい、また帰ってそれから小説を読んで葉山クラスの見学に行った。最低だった。異常に攻撃性が高い。人を支配しようとする意思が異常に強い。根暗で攻撃的で始末に終えない。絶対にあのクラスは嫌だ。嫌なことは嫌と言おう。それができないからいじめられるのだ。悪いことをされても自分が悪いと思い込む。今日は酒を休もう。休肝日だ。ちょっと今は疲れている。自分を酷使しないということを旨としよう。
 人は悪いことをする生き物だと思った。平気で悪いことをする。私は人が自分に悪いことをしないだろうという根拠のない信念を持っている。絶対に間違っている。どんな人間でも私を憎み平気で攻撃してくる可能性がある。自分が無理に相手を好きになって相手にも自分を好きになってもらって、つまり仲良くするということは難しいし、その必要はない。そんなことを求めてくるなんて頭がおかしい。自己愛性人格障害だ。境界例だ。何で好きにならなきゃいけないのだ。好きにならないとしつこく攻撃してくる。人の持っているものを欲しがり、盗もうとする。危険な情事のあのキチガイ女が境界例らしい。なるほどと思う。そっくりだ。とにかく今は疲れていてぎりぎりだ。
 私も絶対に悪いことをしないとはいえない。人が絶対に悪いことをしない。してはならないという前提で行動すると実際にはどんどん悪いことをしてくるので頭がおかしくなってくる。女は皆悪いことをしてくる。女が悪いことをするのは当たり前のことだ。それでパニックに陥るのはおかしい。現実的に対処しなければならない。疲れてどうしようもなく休むことも許されないとすれば悪いことをするかもしれない。少なくとも正気を失うだろう。実際にそうなった。悪いことをされてもパニックに陥らず、反撃することができれば収まるだろう。精神的には安定するだろう。小さい頃、姉に何の理由もなく攻撃された。モラハラだ。8歳も離れているので攻撃しやすかったのだろう。私が反撃する方法は暴力しかなかった。それでなくても暴力的な九州の社会で疲れ果てていたのだ。人は道徳、法、良心、マナー、慣習、宗教などありとあらゆるもので悪いことをしないように縛られている。でもほんの少しでもストレスが高まると簡単に悪いことをする。きわめて自然なことだ。子供と同じだ。子供でもほっておけば、他人を攻撃する奴がいる。大人は法で縛られているが簡単に子供に戻って悪いことをする。悪いことをして良い状況であれば迷わず悪いことをする。何度もそういう目に遭った。信頼できない奴を簡単に悪ができる状況にしてはならない。例えば今の状況は簡単に悪いことができる状況に女を置いている。だから当然悪いことをする。悪いことをしないという根拠のない信頼。ルールを守るだろうという全く間違った信頼。それは簡単に裏切られる。混浴温泉に行ったときの状況がそうだ。
 今日は疲れている。一昨日、京都のビジネスホテルに泊まって朝帰りして文校の見学に行って、kさんと飲んで本当に疲れた。疲れているから機嫌が悪くなる。疲れていなければイライラなどしない。中学のときにもううつ状態だった。それから私はおかしくなった。疲れた私を攻撃するが本当の理由は私が悪いからではなく、疲れているからだ。疲れていると正常な判断ができなくなる。何もできなくなった。勉強だけに集中した。人付き合いなんかできなくなった。今日は早く寝る。明日もゆっくりする。人に会わない。人ごみに出ない。


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