良い天気だ。昨日と打って変わって。昨日は何かの罰のように雨、雪、霰が降っていた。寒い中、菅原盆梅展に行ってきた。野趣があって良かった。それから堺に帰ってきてhと会った。見舞金をくれるというので会いに行った。余り気が進まなかった。堺東の居酒屋に行った。結構うまかった。話しているうちに面白くなっていっぱいしゃべった。誰でもいいから聞いてくれる相手が欲しかったのだ。世間話とか、トリノ五輪とかいっぱい話した。もう職場に戻りたくないという話を一応しといた。モラハラの話もした。中学の頃からおかしいという話もした。大体理解したようだ。話しているとだいぶ楽になった。ずいぶん楽になったがまだまだ我慢して解放されていない点、気付いていない点がある。でもだいぶ自分を客観視できるようになった。それが全ての始まりだ。今まで45年生きてきて自分の姿が見えたことは一度もなかった。今はかなりはっきり見えるようになった。 b校のことも思い出す。何か最後の日はモラハラまがいのことをされた気がする。wとあの坊主はどうも食えない。うるさすぎる。ツッキーは私のことが理解できたらしく仲良くしてくれるが、あの二人は全然だめだ。何も仲良くなんかしなくていいのだ。仲良くできない人が集まっているのだからその辺は適当でいいのだ。 私の中にも悪がある。つい悪いことをしてしまう。女を見ると腹が立つ。側に来られると腹が立つ。優しくなんてできないし、優しくして欲しいとも思わない。それが本音だ。それを職場なりb校で出すと嫌われる。悪いことを考えたり、言ったりしたりする。人を傷つけることも十分悪だ。差別とか、嫌うとか、恐がるだけでも人を傷つける。そうなる気持ちは結局ストレスだと思う。姉にいじめられたトラウマが私を無力なうつ状態に追い込む。ストレスがますますうつを誘発する。悪を呼び込む。 疲れがストレスになり、次第に弱ってくる。悪の誘いに乗りやすくなる。精神状態が既におかしくなっているのだ。そうするとモラハラを誘発する。あの家庭がまともだったかどうか自信がない。ストレスに晒される家庭だったかもしれない。父親は境界例的な傾向があり、アルコール依存症気味だった。そういう意味ではアダルトチルドレンの可能性はある。サドを読んだとき私は決定的なトラウマを受けたと思う。ptsd的な症状がはっきりし始めたのはその頃だった。自殺未遂をやったのはそのしばらく後だった。立ち直りは正直まだだろう。ストレスから自分を解放して、休ませ、慢性的衰弱状態から脱出することが近道だ。 自虐のループから多分抜け出せない。自分を虐待し、傷つける可能性のある奴のそばから離れられない。もしかしたらb校もそうである可能性がないとは言い切れない。そんな状態である以上、そういう場所に近づかないというのも賢明な選択だ。高ストレス状態であることは間違いない。好きな文学だから大丈夫だなどとは言い切れない。実際いじめにあったし、最終日なんかはまたいじめが復活していた。女とはどんな理由かはわからないが、うまく行かないのは事実だ。なぜかわかるまで近づかないというのが唯一の道だ。 この間に最終日におかしくなった原因は何となくわかる。私は結構高ストレスに耐えられてしまう。それで自分に知らん間にストレスをかけている。でも反応は正直に出てくる。不機嫌、悪いことを考える、言う、行動する。表情や態度に出る。休む以外に方法はないのに休めない。我慢してしまう。あの日は宮崎の精神鑑定書を読んでいた。結構きつかった。読むこと自体がしんどいし、内容がしんどい。そうすると知らん間にストレスがたまってまう。それが苛立ちや意地悪になって表に出て、それが自分に返ってくる。だからストレスをためないこと。たまったら、休む。その場を離れる。これが唯一の解決策だ。勉強になった。
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