昨日はだいぶ飲んだ。何が問題なのかわかってきた。従わない心。宗教的な気持ちが大事だ。z氏でも反抗精神旺盛だが家族を持ち、子供を持って生きている。会社勤めを選択している。結局宗教的に生きている。宗教というと怒るが。私を救うのは宗教だと思う。自分を守ること、働くこと、遊ぶこと、愛すること、自分の利益を図ること。それらは全て宗教的に許される。大いに働き、利益を得て、大いに遊べ。 昨日の社長たちは従っただろうか。へこたれただろうか。自分の誇りと命を賭けて戦ったじゃないか。私もそうしよう。これは宗教戦争だ。 熱い心は必要だ。負けず嫌いも大いに結構だ。それを実現するのに荒っぽい方法はいらない。穏やかで最も優しい平和的なやり方で全ての願望を完全に実現することができる。 正当防衛はなぜ許されるか。宗教だ。自明だ。考える必要はないのだ。そのことがやっとわかった。自分を守ることの正当性の根拠を考えるなんてどれだけ謙虚なんだ。生きていていいのだ。生きていていいのだから、自分の身を守っていいのだ。 今日は司馬遼太郎記念館で赤瀬川原平の公演を聴いてきた。面白かった。絵描きが芥川賞作家になるまで。私小説のあり方を説いていたのでヒントになるかもしれない。宗教的に生きよう。それから大阪に移動して内田樹とお坊さんの対談。ふざけていてとても面白かった。西洋合理主義に染まった私たちには新鮮だ。何が風水だ。ふざけきっている。でも一服の清涼剤というやつか。それと不可知なものを信じる。暗黙知。それは既に宗教的なのだと。いやでも応でも人は宗教的なのだ。霊的なものに突き動かされていることは疑いもない事実だ。ゲンかつぎに始まって、宅間のざんげまで霊的な動機は満ち溢れている。
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