希望の日記

2006年04月18日(火) 今日

昨日は少し状態が悪かった。疲れていたんだ。私は自分に厳しい。結局それが嫌になって何もかも放り出してしまう。中間で行こう。極端に真実はない。体が大事だ。体は全て知っている。自分を守るとは大事なことだ。今までなぜかそういう努力を完全に放棄するようになった。エネルギーが枯渇しているからだ。優しく平和的な方法で簡単に身を守ることができる。怒り狂っていたとしても最も穏やかな方法で自分の怒りを伝えることができるし、願望を100%実現できる。
自分を守ることができなければならない。理屈抜きに反射的に守ることができなければならない。それは簡単なことだ。非常に簡単なことだ。子供でもやっていることだ。
今日はレイプされたアメリカ在住の女性フォトジャーナリストの講演を聞きに言った。面白かった。トラウマを負った人間は信頼感を失うという。今の私の状態はそういうことだ。しかし大阪の女という感じがした。転んでもただでは起きない。でも生きるために必要なものは何でも利用するのは賢いことだ。誰も傷つけているわけではない。宗教は大きい癒しになる。彼女が癒されたのは神父の勧めに従って犯人に手紙を書いたことからだという。許すことはできないが神が許せといっているように思う。今はあなたのコントロールから自由になったと。レイプとはコントロールだという。心までコントロールされてしまう。恐怖によって。私もあの婆が来たとき本当に恐かった。逃げたいのに逃げられず反撃もできず、だんだん弱っていった。我慢などする必要はない。この会社に入ったときも意味不明のいじめにあった。女が本当に嫌いだ。関西人が本当に嫌いだ。
私もコントロールから自由になろう。女を恐がったりするのはそのコントロール下にあるということだ。宣言することが大事だ。私はババアやヤンキーや爺やおっさんや若造が恐くなんかないし、仲良くしようなんて思わない。わかったか。
コントロールから自由になろう。それがポイントだ。昔から女とは仲悪かった。でももうコントロールから自由になるのだ。そうすれば立ち直るだろう。女よ。関西人よ。私はお前らの呪縛から自由だ。完全に立ち直った。
性的である必要があるだろうか。大嫌いな女のために性的である必要があるだろうか。女から自由になろう。女のコントロールから自由になろう。自分の足で歩こう。自分で自分が守れるようになろう。


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