昨日は和尚さんとoさんと京橋で飲んだが、ギクシャクして面白くなかった。理由はよくわからないが、私が余り調子がよくなかったために双方にうまく親切にできなかったことだろう。この間の京都での飲み会でも同じことだ。 どうしたら自分が満足するのか、それを考えた方がよい。自分が満足することはこれだと決めてやっていれば、人をうらむこともないだろう。たとえどんな苦労をしても苦労とは思わないだろう。例えば子育ては、誰も苦労とは思わないだろう。人のために何かしてあげることが楽しいと思えることが人生の喜びだ。 呼吸法が大事だ。そして自分を守ることが大事だ。私が病気で休むことになった直前はあのキチガイばかりではなく、北原もhも全員がモラハラ的状況だったと思う。私は自分を守れない状況だったから、自然とそうなる。自分が守れる状況は誰にも依存せず、自立した状況だ。私は今は誰も恐くない。こちらに向かって突進してくる車を見ても恐くなかった。その勇気が中学の頃あればよかった。教師でも親でも学校でも恐くなかったのに。今なら当時できなかったことができる。当然すべきことができる。自分を守るために必要なことができる。攻撃されたら反撃して自分を守ることだ。女に馬鹿にされたり、いじめられたりしたら黙ってないで反撃することだ。優しい人間という評判が何になる。いじめられて苦しんでいるのに。私は誰も恐くない。この間の変なグループのリーダーでも全く恐くなかった。私の行動は間違っていなかった。自分を守ること、反撃すること、攻撃されたら即座に反撃すること。呼吸法によってそれができるようになった。今の気持ちであれば、この会社を首になっても生きていける。ただし、必死で働かないといけない。なぜ働かないといけないか。自分を守るためだ。誰かを傷つけるためではない。食べること、眠ることは自分を守るために必要なことだ。私を見ると何の理由もなく、私を攻撃してくる。女だからといって許してはいけない。直ちに反撃することだ。文学とは関係のないことだ。それができなければ小説もかけない。攻撃的で行こう。プライドを守ろう。 自分を守ることが大事だ。攻撃されたら攻撃しよう。あの中学のときでも反撃すればよかったのだ。 楽しみを求めよう。フッキーさんのように愉しみと友を求めよう。 攻撃性と勤勉は比例する。攻撃性を抑えようとすれば、勤労意欲もなくなるし、自分を守ろうという意識もなくなる。何の理由もなく攻撃するやつには反撃せねばならない。仲良くなんかできない。攻撃してくるやつと仲良くなんかできない。女なんか全く恐くない。もし攻撃したらいくらでも攻撃できるのだ。仲良くしないといけないという理由はないし、道徳的でなければならないという理由も無い。まして関西人は犯罪者と同じだ。 攻撃性は勤勉と比例する。勤勉なやつは攻撃性が高い。A型とかいわれているやつだ。心臓病罹患率が高い。のんびり、癒しもいいが、攻撃性はどうしても必要だ。自分の身は自分で守っていいのだ。それだけのことだ。掃除だって自己防衛なのにそれができないということは死につながる。 攻撃性は勤勉に完全に置き換えることができる。だから最も穏やかで平和的で利他的で、優しい手段で自分の目的を完全にかなえることができるのだ。攻撃性とは何ら人に粗暴な行為をすることではない。日本人は最も攻撃性が高い国民だが、粗暴ではなく、世界一礼儀正しく温和だ。攻撃性と勤勉は同じことなので、むしろ攻撃的でない人間が礼儀知らずとみなされてしまう。 私は女が嫌いなんていっているのではない。自分を守りたいだけだ。だから女が嫌いと思う気持ちはある場合には全く正当化される。全く自分を守る術を持たない人間が自分を攻撃する人間に対するとき嫌悪感以外に身を守る術はないだろう。この間の集談会でもやられた。女の得意技だ。私はもっと理性的な方法で同じことをすることができる。 坂本冬美のコンサートに行ってきた。素晴らしいの一語に尽きる。歌も姿も最高だ。自分の妻だったらと想像してぞくぞくした。周りのおじさんたちもそう思っているかと思うと、ちょっと嫌な感じがした。彼女は完璧なパフォーマンスをする。それは疲れるだろう。でも最高だ。類まれな才能の持ち主だ。どの曲も最高だった。あの姿を見たら素人の女なんか馬鹿馬鹿しい。 勤勉であろうと思った。彼女の姿を見て元気をもらった。勇気をもらった。彼女はぎりぎりのところで頑張っている。彼女はしっかりと新たなステージに踏み出した。 自分で自分を守らないといけない。昼間町を歩いていると命を狙われる。馬鹿みたいな店員に馬鹿にされる。少し頑張ってみようかなと思う。頑張ってしかも元気で、楽しければ言うことはない。体で考える。自分で自分を守れないからいくら勉強してもだめだ。いくら価値を蓄えてもだめだ。自分で自分を守らないといけない。誰かが守ってくれると思ってはいけない。仲良くするとか穏やかであるとか関係ないじゃないか。優しいとか。もちろん最も宗教的な方法で自分を守ることはできる。ほとんどの場合はそうだ。でもそうでない場合もある。暴力を振るわれた場合どうする。犯罪者に襲われた場合どうする。自力で自分を守るのだ。あの胸糞悪いwに二度と会いたくないだろう。私が一肌脱ごうと思ったばかりに、傷つく。あいつは私を傷つけることしか考えていないのだ。永遠に二度と会いたくない。何かうまいことやって仲良くするなんて不可能に決まっているじゃないか。あんな境界例の女。絶対に心を許してはいけない。
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