希望の日記

2006年05月06日(土) 今日

大体問題点がわかってきた。何が私に起こったことか。仕事をする気にならないのはなぜか。前の会社でも今の会社でもまともに仕事ができたことはなかった。それが一番の問題で、女と仲がいいとか悪いとかどうでも良いことだ。損得を第一にすることだ。私に利益を損なうやつは絶対に許さない。男だろうが女だろうが関係ない。女が嫌いかどうかは私の内面だけの問題で絶対に誰にも関係ない。それを理由に差別したり、暴力を振るったりすることは絶対許さない。損得だ。私の利益を損なうようなことは絶対に許さない。生活の何とかいうのも行かない方がいい。いじめる奴がいる。いじめる奴がいるんだったら、絶対に反撃する。私の利益を損なうやつは絶対に許さない。あんな会はもう絶対に行かない。お見合いが絶対うまく行かなかった理由は女が嫌いだったからだ。女が嫌いになったのは中学の頃からだ。高校大学とずっと嫌いだった。入院したとき看護婦を目の当たりにして本当に嫌いになった。それ以来、女特に看護婦は大嫌いだ。
忘れたらいいんじゃないか。女のことなんか。全くメリットがない。他にもっと楽しいことがあるのでそれを考えた方がよい。小説もそのひとつだ。仲良くなんかできないんだからできないことを強いてはいけない。何かされたら全力で反撃することだ。女には絶対に近づかないことだ。
仲良くなんかできない。忘れたらいいのだ。気にする必要なんかない。覚えている必要なんかない。利益を損なったら殺す。それだけのことだ。
私は全て忘れて良い。しかし許さない。中国人は起こった事は忘れるだろう。生きていられないから。でも絶対に許さない。私は女を絶対に許さない。私に甚大な被害を与えたことが絶対に許せない。忘れて良い。大嫌いなやつのことを覚えていることは不快だからだ。でも絶対に許さない。
私が心を入れ替えて、女と仲良くしたほうが良いのか。それは長い歴史があるから、簡単にはいかないだろう。三島由紀夫が女を好きになったことがあるだろうか。私が女が嫌いだといって差別するのは絶対に許さない。自分を守るのだ。女が嫌いだからと言って差別される自分を守るのだ。どう守るのか。自分の利益が損なわれないように主張するのだ。黙っていてはいけない。これは権力闘争なのだ。女が偉そうにするのは絶対に受け入れられない。散髪屋で女が嫌いだからと言って暴力をたびたび振るわれる。それは絶対に許してはならない。今回のことも暴力だ。モラハラとは暴力に他ならない。暴力を許してはならない。断固戦い抜こう。
私はこの会社に入ってから、ずっと女と戦っている。最初のところもいつの間にか、女との戦いになっていた。その次のところも結局女どもとの戦いだった。私は自分を守れなかった。そして今度もキチガイどもにモラハラに遭っている。生活の何とかに救いを求めても同じ状況が生じる。利益が損なわれて黙っていてはいけない。損得の問題だ。損得は命の問題だ。最大の利益は命だ。命を守るのだ。
私は自分がなぜ女が嫌いなのかわからない。でも自分の利益を守り抜くのだ。女と仲良くする必要なんかないのだ。女が嫌いでも絶対に問題ない。女が嫌いでも全く問題なくやっていける。自分の利益を守り抜くのだ。
呼吸法の良い点は恐怖心がなくなることだ。過敏状態が解消されて恐怖心がなくなる。女が嫌いなのはなぜか。恐いからである。恐くなくなれば、嫌いでもなんでもなくなる。サルは恐怖を感じる扁桃体を壊すと恐怖を感じなくなって、蛇をもてあそぶようになると言う。呼吸法。これで全ての問題を解決できる。女なんか恐がるようなものじゃないと言うことだ。それと自分の利益を守る。この二つだ。
女をコントロールすることはできない。でも恐怖心をコントロールすることはできる。それが全ての解決法だ。嫌いなものを好きになる。これは解決法でもなんでもない。卑屈なだけだ。マゾヒズムだ。恐怖心をコントロールすれば、恐怖で他人をコントロールしようとするやつから自由になれる。やっとわかった。女だって男が好きなのではない。男とセックスして気持ち良い自分が好きなだけだ。それと金が目当てだ。女は男を恐れている。若い頃は肉体上の優位性で男を恐れないが、ババアになると逆に恐れるようになる。全く男の攻撃性を抑圧するものがないからだ。ババアが嫌いなのはそういうことだ。女を下に見る。そうすれば恐くない。恐くなければ嫌いも好きもない。大発見だ。
女やおばさんを好きになることはできないし、その必要はない。だが、恐くなくなることは可能だし、是非そうすべきだ。恐くなくなれば、好きにはなれなくても、嫌いではなくなる。どうでもよくなるのだ。ゴキブリは恐いから嫌い、抹殺、ということになるが、カブトムシは恐くないから嫌いではない、好きということになる。それでも私が女が嫌いと言うことで攻撃するのならば、自分の利益を守るために反撃する。それがアサーティブということだ。人を恐がらせることは嫌われることで不利益になる。小説を書いて人に好かれることは楽だ。
嫌いなものを好きになれと言われたら、屈辱と感じるのは自然なことだ。でも恐いものを恐くなくなることは大いなる進歩で、逆に誇らしい。自転車が乗れるようになったくらいうれしい。犬が恐かったが、今はそれほどでもない。女は動物に近いから恐いのも無理はない。でも恐がる必要はないとわかった。弱弱しい、全く愚かな欲望に弱い情けない何の役にも立たないやつらだ。なぜ恐がる必要がある。やっと呪縛から解き放たれた。呼吸法のお蔭だ。ビバ、呼吸法。
長い間モラハラに晒されていたため、ストレスで脳が痛んでいる。その回復にも相当時間がかかる。
恐いと思わなければ、優しくしてやってもいいわけだ。嫌いではないわけだから、弱いものに優しくするのは当然だ。
攻撃的というのも脳内物質のバランスが崩れているので、恐くないものを恐がるため、臨戦態勢になる。戦うか逃げるか状態。本当はそんなに恐くない。呼吸法によって、脳内のホルモンバランスを整えることができる。恐くなければ嫌いにはならない。
損得中心で行こう。好き嫌いの問題じゃない。自分の利益が侵害されるときは戦っていいのだ。自分の身と利益は自分で守っていいのだ。
恐がる必要なんかない。恐がることがなければ嫌うこともない。好き嫌いなんか全く問題ではなく、損得の問題なのだ。自分の利益が損なわれるのは許すことができない。こうしている間にも一か月12万円ずつ失っている。その他想定外の不利益を受ける可能性がある。好きで休んでいるわけではないのに、何で不利益を受けなければいけない。損得で考えるべきだ。自分に酷なこと、損することは絶対してはいけない。


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