希望の日記

2006年05月11日(木) 木津温泉

木津温泉から帰ってきた。疲れた。風邪のときなんかに行くものじゃない。半分くらい損した。食事のとき失礼なババアにモラハラされたし。どうしてもババアはだめだ。薄気味悪い。先週あのおっさんと酒を飲みに行ってから本当に調子悪い。kさんも同じようなものなのだが、病人ではない。人格障害かもしれないが、薬は飲んでいない。
自分が自己愛性人格障害かもしれないと思って読んだが、そんなにひどくはない。あのキチガイは間違いなく人格障害だ。私は過敏すぎるので人の意を汲んで卑屈になりすぎる嫌いがある。女の気持ちなんかどうでもいいのだ。そんなものを気にするいわれはないのだ。私は性格的にも精神的にも全くおかしくないと思った。小さい頃から全く正常で、それどころか本当に美しい、立派な心根の持ち主だと思う。あの卑しいキチガイババアとは全く違うのだ。本当に死ねと思う。
恐がってはいけない。いけないではなくてその必要はないということだ。その必要はないということはいつでも反撃してよいと言うことだ。そうでなかったら、恐れなくても良いと言うことにはならない。いつでもいかなる手段でも反撃してよいから、恐れなくていいといっているのだ。
私は精神的におかしなところはない。性格的にも善良で常識的だ。たちの悪い犯罪者じみたあのきちがいどもとは全く違う。
あの温泉の仲居は本当に気分の悪いやつだった。私にモラハラを仕掛けて来た。大体旅館の仲居とはうまく行かない。水商売の女は嫌だ。ぞっとする。ヤンキー特有の嫌な感じがある。全く相容れない。では素人がいいのかというとやっぱり嫌だ。要するに女は嫌なのだ。激しい怒りと嫌悪感を感じた。恐れる必要はないのだ。でも気味が悪い。蛇が好きになれないのと同じだ。
恐がる必要はない。でも危険があるならば、適切な反撃、防御をすべきである。無抵抗、無防備ではいけない。女なんか恐がる必要はない。
姉は私を異様に嫌っていた。私は何とも思っていないし、何も悪いことをしていないのにもかかわらずだ。私は女なんか全く恐がっていない。でも危害を加えるならば必ず反撃する。無防備、無抵抗くらいばかばかしいことはない。JALのスッチーにも投書してやった。私のこの気持ちは間違っていない。感情は間違うことはないのだ。恐がる必要はない。それは自分の利益を死守するという決然たる覚悟があってのことだ。恐がっていては反撃も防御もできない。モラハラから自由になろう。私は女に対してモラハラ状況になっているのだ。マインドコントロール状態になっているのだ。これを解き放つことだ。恐がらなくなることだ。これが答えだ。恐がる必要などないということを心の底から納得することだ。
私の療養の目的は大きく少なくとも二つある。ストレスでだめになった脳の働きを休養によって回復させる。これは時間がかかる。これだけで一年はかかると見ている。もう一つはモラハラから過敏状態になったマインドコントロール状態の呪縛から解き放つということだ。女なんか恐くないと心から思えるようになることだ。
自己肯定感が持てるようになってきた。何か自分が間違っているような気がしていたが、自分は何も間違っていない。恐がる必要なんかないのだ。
時間は一年半ある。一年半しかない。それまでに上記の目的を達成し、健康な働ける体にしないといけない。これははっきりした目標だ。無駄にする時間はない。何よりも自分の回復を最優先しよう。あんなおかしなおっさんとじゃれあっている暇はないのだ。嫌なことは止めとく。そうでないと回復を遅らせることになるからだ。自分が損すること、嫌な思いをすること、苦痛なことはやらない。絶対にやらない。あんな英会話なんか金輪際行かない。何で金払ってモラハラやられないといけないのか。
恐がる必要がないというためには、攻撃されたら即座に反撃防御することで、それを止めさせ、自分を守ることができること。精神的にマインドコントロールされていないので即座にその行動が取れること。この二つを確保することだ。それができるまで出勤はしない。
私は本当は温泉嫌いなのかもしれない。温泉旅館が嫌いだし、旅館の仲居が嫌いだし、来ているやつらは我慢ならないし。私は温泉が大嫌いだ。


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