昨日は酒を飲んでしまった。できれば飲まない方がよかったかもしれない。でも我慢できなかった。だんだんあの人みたいになってくる。一ヶ月前に変な光線を浴びてから体調も心も不調だ。どんだけ邪悪なパワーを持っているのか。30年物の本物のキチガイだ。森田療法で治るわけがない。ものすごく邪悪で攻撃的で貪欲。人間ではない。私まで人の殺意を覚えるようになった。母親にまで悪意を抱くようになったらおしまいだ。あのキチガイの影響から早く脱しよう。本当に恐ろしい。 ゆっくり休んで精神状態を安定させよう。誰とも会いたくない。会わない方がよい。よく考えたら中学時代からうつ状態みたいだった。勉強はやっていたが、他のことはやらない。友達も作らない。変なやつを友達にしてからおかしくなって、それ以来、友達を作るのが恐い。ずっとうつで社会に参加したいと思わない。そのくせ権力欲が強い。森田神経質性なのか。それなら適応する。 殺意も生きていく上で必要かもしれない。護身術をいくら習っても殺意がなければ身を守れない。 私はOKだ。私はokなので自由に思い通りに生きていけば良い。私は善良で勤勉である。根が素直で純真誠実だ。正直に普通に生きていけばいいのだ。 森田で一番ヒントになったのは自分はokだということだ。自分はokであればやれば良いだけだ。 呼吸法をやっているといろんなことがわかってきた。このわかってきた状態をなかなか定着できないのが悩みだ。悟りを開いたみたいな気持ちになる。でもそれは当たり前のことで誰でも気づいているし、実践していることだ。アイムok,ユアokということだ。 私はokだ。それが周囲と切り離されて、自分ひとりになるとokでなくなる。感謝できない自分になる。よくヤンキーに同類と思われる。反社会的なところが全く良く似通っているからだ。私が反社会的なわけではない。ここ一ヶ月は危険な状態にあった。ユアノットok、アイムノットokになっていた。それはただのならず者だろう。あの半農半xとか言っている人も反社会的な人ではなくて、社会に貢献すること、使命ということをいう。自分と社会が直接向き合っていないと嫌なのだ。直接発信する。会社を通じて貢献するとかじゃいけない。 私はokだ。そう考えるとすごく落ち着いてきた。殺意も薄れてきた。中学の頃から色々あってうつ状態になった。それはそれで私の運命だ。でも運命は変えられると気付いた。つい最近だ。運命とは道徳と同義語だ。時間は未来に向かっていくらでも開かれているのに、84歳の老人でさえそうだ。あの鶴見氏はなお矍鑠として自分の意見を堂々と言える。私は青春まっただ中といっても過言ではない。 私はokだ。そうすると全てすっきりする。私は変人だ。で怠け者だ。それははっきりしている。でもほとんどの人間は怠け者と働き者を兼ねている。私もそうだ。全く怠け者だったら、受験戦争には勝てなかった。戦略家であり、努力家でもある。アイムokだ。でも所詮うつだから、坂道を転げ落ちるように堕ちてきたのだが、森田療法にもっと早く出会っていればと思う。苦しくてもやる。でも私も苦しくても公務員試験を勉強して受けた。結果は受ける前から明らかだったにせよ。 大学入っても勉強して栄光をつかんだ連中は元々何かが違うのだ。私は無理して入った。偶然とは言わないが。だから燃え尽きてしまった。中学時代からのうつをこじらせてしまい、いじめにも遭ってあんなことになった。今どうすべきかを主に考える。過去の原因を探ってもほぼ答えは出ない。というかほぼわかった。それで今どうするかだ。ああでもないこうでもないと考えて貴重な時間を空費するのは余りにも惜しい。それが一番自虐的だ。何も努力をしない決心をするのは早すぎる。諦めるのが早すぎる。もっと執念を持って取り組もう。 女ともうまく行く。うまくコントロールできる。何も仲良くできなければ無理して仲良くなる必要はない。適当に距離を保つことはできる。 今日はkさんと京橋であった。元気がないので心配したのかもしれない。私が元気であれば皆が喜び、落ち込んでいれば悲しむという母親の話を信じよう。私はok、ユアokと一日に何度も唱えよう。心の中で。 加藤さんと会うのはどうかなと思う。ストレス源になっているのじゃないかという疑いを捨てきれない。もしそう思うのだったら会うのをやめたらよい。加藤さんは愛を求めているのだろう。男にも女にも。そのストレートな愛を求める姿勢は時に重苦しい。私は母親にも冷たくする薄情な人間だからだ。 でも人間は愛を与えないと怒りだすのではないか。女は少なくともそうだ。愛とまでは行かなくてもユアokで十分じゃないか。そういう目で見ると帰りの電車でも普段は嫌っている若者や女やおっさんやおばはんが愛すべき興味深い存在に思われてきた。自分と似ていないから嫌うのではなく、自分と似ていないから好きになる。ヘテロセクシャルはそうだ。自分とかけ離れているからこそ好きになる。 アイムオーケーユアオーケー。これしかない。私は加藤さんに愚痴を言ってしまった。馬鹿だと思っただろう。愚痴とはまさにそういうことだ。私のような馬鹿はどうすれば良いか。アイムオーケーユアオーケーと100回唱えることだ。加藤さんはコーヒーをおごってくれるようになった。さすがにかわいそうになったのだろう。自分が追い詰められてくると、人を利用しようと考え出す。大事な母親まで利用するようになった。でも誰でもいつでも困っているのじゃないか。会社も困っているから人を雇っているのだ。それを助けるのが従業員の役目だ。使命と言い換えても良い。あの人のように。今何を考えてもうまく行かない。難しい本を読んでも意味はない。休むことだ。加藤さんは私がおかしなことをやっていたら注意してくれるから、oさんや京都の人たちよりは良い友なのかもしれない。私を引き上げようとしてくれる。私がoさんや京都の人と付き合うのはいささか自暴自棄、自虐の気味がある。加藤さんが指摘し、危惧するのはそういうところだ。やっぱりこれからも連絡を取り合ったほうが良いかもしれない。本当に困ったときに助けてくれるかもしれない。 アイムオーケーで行こう。ユアオーケー。これは一言で全てを解決する。アイムオーケーというのは自分が何かをできると確信することだ。小説を書いてみてそう思った。自分が人を喜ばせる力がある。今の私でも会社の中でもきっと何かできることがある。今脳が傷ついて弱っているから、うまく行かないと感じるだけで、この状態を脱すれば十分やっていける。
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