希望の日記

2006年06月12日(月) 今日

まだのどが痛い。どんだけしつこいんだ。フッキーみたいだ。あいつはマイミクからはずしてやった。これだけの甚大な被害を受けたんだから当然だ。アイムオーケーユアオーケー、アイムオーケーユアオーケー。あのキチガイのことを本当に憎んではいなかったと思う。優しいから許していたんだと思う。許す必要はないのだ。本当に憎め。本当に攻撃を加えろ。それが普通の人間がやっていることだ。
ちょっと元気になってきた。信じられない。前より強くなった。本当に憎んでいいのだ。自分に危害を加える人間は本当に憎んでいいのだ。
父は優しかった。でもあんなに優しかったら自分が傷つくし、自分を守れなくなる。今の私のように。でも私は自分を守れる。自分を傷つけるやつは本当に憎んで良い、傷つけていいと言うことだ。
私は強くなった。傷ついたが強くなった。アイムオーケーユアオーケー、アイムオーケーユアオーケー、アイムオーケーユアオーケー。これさえあればいつまでもどこまでも大丈夫だ。
アイムオーケーユアオーケー、アイムオーケーユアオーケー。
呼吸法をやった。少しこつがわかってきた。これだけ長いことやって今頃こつがわかるなんて。
楽しむことを許そう。リラックスして楽しむことを許そう。セックスでも音楽でも良い。同じことだ。
楽しい。
アイムオーケーユアオーケー。キチガイは平気で人を傷つけてくる。それを黙っていてはいけない。黙って甘受してはいけない。世の中は私の思っているようなものじゃない。
あの大学に入学したときからやる気がなくなった。やるべきことをやらなくなった。もちろんそれ以前からやらなかったが、あのときから決定的になった。あのときに戻ってやり直そう。生産的な人間になろう。作家だって生産的である。
植島氏の講義を聞く。とてもためになった。私のためにあるような講義であった。敗北によってできた隙間に何を呼び込むことができるかが勝負だと。今私がやろうとしていることがまさにそれだ。別に宗教でなくてもいいと。アイムオーケーユアオーケーでもいいわけだ。小説を書くことでもいいわけだ。自分が素晴らしい人間になることができそうな気がした。斉藤一人だとか松下幸之助とかカーネギーとかああいう人の話を聞いたらいいような気がした。鶴見俊輔でもいいが。


 < 過去  INDEX  未来 >


リスパ

My追加